◇◆◇2018年8月26日第四主日礼拝
◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書15章12節~15節】 (新約p.193下段左端)
15:12「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。
15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 私があなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたは私の友です。
15:15 私はもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。私はあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」
◎メッセージの概要【主イエス様の戒め】
《主イエス様は、「新しい戒め」を再度話されました。
一回目は、「過越の食事」の最中に、突然イエス様が十二使徒の足を洗われ後に、十一使徒に言われたのです。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
そして二回目は、「ぶどうの木のたとえ」を話された後に、言われたのです。
「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。」
これは、互いに尊重し合い、そして互いに大切な存在であると思いなさい、と言う意味でもあります。
次に、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言われました。
これは、ご自身のことを言っておられます。
ここでイエス様は大切な真理を二つ教えています。一つは、「いのちを捨てる」と言うことです。このことが出来るお方はイエス様だけなのです。
また、「これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言われましたが、この愛を持っておられるお方もイエス様だけなのです。
それほど、イエス様は、十二使徒一人一人を、そして私たち一人一人を大切に思われ愛して下さったのです。
イエス様は、十字架刑を逃れることも、十字架から降りることも、またローマ兵や、ユダヤ人たちを一瞬にして滅ぼすことも、いとも簡単にお出来になられたのです。
ゲッセマネの園の祈りは、身代わりの死を回避させようとする悪魔の誘惑との戦いであり、精神的な苦しみと、やがて味わうことになる肉体の激しい痛みとの戦いであり、それに勝利する為の祈りであったのです。
イエス様は、ご自身を救おうとする誘惑に打ち勝ち、真に「いのちを捨てられた」のです。死んで下さったのです。そして三日目によみがえられるのです。
次にイエス様は、十一使徒のことを「友」と呼ばれました。この言葉は、その前に言われたこと、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言う言葉にに関係があります。
イエス様は友の為に、つまり十一使徒の為に、いのちを捨てると言っておられるのです。そしてその「友」こそが彼らであり、私たちなのです。
さて、「私があなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら」とも、言われましたが、具体的にどのようなことなのでしょうか。
それは、
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」と言うことであり、こちらが与えることが先なのです。
与えれば、与えられるのです。この法則は、今でも有効であり、神様が報いを下さるのです。
与えると言うことは、決してばらまくのではなく、本当に必要を覚えている人や場所に、与えると言うことです。その報いは必ずすぐにやって来ます。
私たちは、一タラントを土の中に仕舞っていたような役に立たない僕ではないのです。そしてそれが互いに愛し合うことにつながって行くのです。》