◇◆◇2018年9月23日第四主日礼拝
◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書15章26節~27節】 (新約p.194下段左側)
15:26 「私が父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が私についてあかしします。
15:27 あなたがたもあかしするのです。初めから私と一緒にいたからです。」
◎メッセージの概要【真理の御霊が来る時】
《引き続き最後の晩餐におけるイエス様の惜別の説教からの学びとなります。イエス様が「真理の御霊」すなわち聖霊について啓示されたのは、三回目となります。
最初の啓示は、イスカリオテのユダが出て行った後にされ、続けて二回目もされました。
「私は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、共におられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
「しかし助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い起こさせて下さいます。」
この三回による啓示から、御霊(聖霊)は、共に住み共にいて下さる、すべてのことを教え、イエス様が語られたことを思い起こさせて下さり、イエス様について証しされると言うことです。そしてそのことを人を通して、すなわち十一使徒を通して行なわれることを言われています。それゆえ、「あなたがたも証しするのです」と言われたのです。しかし御霊が来なければ、証しすることはなかなか出来ないことです。それだからこそ「助け主」なのです。
「あなたがたも証します」とは、イエス様が、最初に十二使徒をユダヤの町や村に派遣された時にも預言されました。
「いいですか。私が、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。
また、あなたがたは、私のゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」
このことは、もちろんイエス様が十字架にかけられる前には成就していません。最初に成就するのは、ペテロとヨハネが指導者たちに捕らえられた時です。
イエス様が昇天される前に、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」と言われました。
証人とは「証しをする人」のことですが、何を証しするのでしょうか。それはイエス・キリストこそが旧約聖書に預言された「救い主」であり、神の御子であることをです。十字架につけられ殺されましたが、三日目によみがえられたことをです。
エゼキエル書には、「人の子よ。私はあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、私の口から言葉を聞くとき、私に代わって彼らに警告を与えよ。
私が悪者に、『あなたは必ず死ぬ。』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、私は彼の血の責任をあなたに問う。
もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。」と預言されています。
私たちには使命が与えられています。それはすべての人間は、一度死ぬことと死後裁きがあることを伝えることなのです。そしてそれだけでなく、救いの道が用意されていることを。
父なる神様の命令と願いとは、「悔い改めて永遠のいのちを受けること」なのです。「永遠のいのち」の反対側には、「永遠の滅び」すなわち「第二の死」があるからです。
使徒ヨハネは言います。
『私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。』と。
これがどれほど素晴らしいことなのか、なかなか私たちは実感することが出来ない為に、使徒ヨハネはこのように勧めているのです。
ある神学者がこのように言いました。
『一度生まれた者は二度死ぬ。しかし二度生まれた者は一度しか死なない。』と。私たちは二度生まれた者なのです。両親によって、そして主イエス様によって。》