◇◆◇日々のみ言葉
2018年9月27日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き2章37節~39節】
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所から、三回目の学びとなります。今日は特に、2章39節の言葉について考えて見ましょう。
シモン・ペテロは、ヨエル書とダビデの詠んだ詩篇から、み言葉を引用して、聖霊様に満たされ、今までに経験したことがない、最大かつ最高のメッセージを語りました。
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロと他の使徒たちに、
「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」
と言ったのです。
その応答として、ペテロは「招きの時」を持ったのです。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
そしてその後に続く言葉は、何と慰めと慈愛と愛に満ちていることなのでしょう。
「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
ペテロが語った言葉は、本人にも信じられなかったのではないかと私は思うのです。
「あなたがたと子どもたち」
同胞のユダヤ人を指し示します。実際にヨハネ・マルコの家に集まって来た人々は、善良なユダヤ人たちなのです。
なぜなら最大の祭りである「過越の祭」の時をエルサレムで過ごし、そしてその後の祭りである「七週の祭(初穂の祭)」の時にも巡礼する人々であったからです。
おそらくこの祭りの期間が終わった後に、それぞれの国に帰国することになっていたはずです。
「ならびにすべての遠くにいる人々」
シモン・ペテロはどこの民族出身でしたか。
そうです。
ガリラヤ出身のユダヤ人なのです。
ユダヤ人は、決して異邦人とは一緒に食事をしたりしないのです。なぜならユダヤ人にとっては、異邦人は犬よりも劣る人種だからです。
しかしこの言葉は預言であり、次に続く言葉の通り、
「すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられている」のです。
これこそが「異邦人」が救われる約束を表わしています。
イエス様は、後にペテロが言うように、「すべての人の主」です。このお方に関係のない人は、世界中どこを探しても、誰ひとりとしていません。
例えその人自身が関係ない、と言いはったとしてもです。
人は一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定められています。
「白い御座の裁き」の場において、裁き主であられる主イエス様が悲しい目を向けて、その人に言うかも知れないのです。
「あなたは、生きている間にどうして私を信じようとはしてくれなかったのですか。」
今は救いの時です。今は恵みの時です。まだ間に合います。救いの扉は開かれています。まだ門は閉じられてはいないのです。
しかし、何時の日か、門は閉められる時がやって来ます。だからこそ門なのです。》