• 2018年10月14日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年10月14日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書16章5節~7節】 (新約p.195上段右側)
    16:5 「しかし今私は、私を遣わした方のもとに行こうとしています。しかし、あなたがたのうちには、ひとりとして、どこに行くのですかと尋ねる者がありません。
    16:6 かえって、私がこれらのことをあなたがたに話した為に、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
    16:7 しかし、私は真実を言います。私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もし私が去って行かなければ、助け主があなたがたの所に来ないからです。しかし、もし行けば、私は助け主をあなたがたの所に遣わします。」

    ◎メッセージの概要【私が去って行くなら】
    《イエス様は、ここではっきりと、ご自身が弟子たちから去って行くことを言われました。「私を使わした方のもと」とは、父のみもとであり、そこに場所を備えに行かれます。

    「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。」
    「『私は去って行き、また、あなたがたのところに来る。』と私が言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、私が父のもとに行くことを喜ぶはずです。」

     残念ながら、この時の弟子たちには、主イエス様がどこか遠い所に旅立たれるくらいにしか考えられなかったのです。

    「去って行く。」と言われた言葉は預言であって、二重の意味を含んでいます。一つは、約9時間後に十字架にかけられ、そして午後3時に死なれることを意味しています。
     マルコは、ペテロのメッセージを綿密に書き記しました。よって主イエス様の十字架のすぐ側にいたヨハネと、遠く離れて見守っていたペテロの二人だけが、使徒の中における十字架の目撃者であって、その信憑性は疑いのないことです。
    『彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。』

     そしてもう一つの成就が、復活されてから四十日後のことです。主イエス様は、十一使徒たちをオリーブ山に連れて行き、彼らの見ている間に、彼らから去って行くことになります。

    『「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。』

     この時、本当にイエス様は、彼らから去って行かれました。しかしイエス様は、去られる前に約束されたのです。

    「私は真実を言います。私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もし私が去って行かなければ、助け主があなたがたの所に来ないからです。しかし、もし行けば、私は助け主をあなたがたの所に遣わします。」

    「もうひとりの助け主」とは、イエス様と全く同じお方と言う意味です。
    「私は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、共におられるためにです。その方はあなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。」

     イエス様は、まことの神様であられましたが、まことの人でもあられたのです。復活されても、その本質は変わらないのです。つまり私たちと同じ人間であるならば、時間と空間の制限を受けることになるのです。
     イエス・キリストなるお方は、ただ一人しかおられません。ただ一つの人格であられ、復活し栄光の体に変えられ、父なる神様の右の座に座しておられます。
     出エジプトしたモーゼは、朝から夕方まで民の前に立ち、彼らの問題を解決したのです。よって私たちも同じように主の前に並ばなければならないのです。
     また場所における制限もかけられることになります。もしイエス様が、今エルサレムにおられるなら、飛行機に乗ってエルサレムに会いに行かなければなりません。

     しかし、助け主であられる聖霊様は違います。聖霊様は偏在されるお方です。どこにでも、またどの時間においても存在されるのです。何時でも話かけることが出来ます。そしてそのお方は、イエス様の霊でもあられるのです。三位一体なるお方は一つなのです。
     だからこそ、主イエス様は、「私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。」と言われたのです。

     そしてイエス様はこのようにも約束されています。
    「私は、あなたがたに平安を残します。私は、あなたがたに私の平安を与えます。私があなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」
     ここで言われた「平安」こそが、聖霊様なのです。神様が共に住んで下さるのです。この世界の創造主なるお方が、私たちの内に住んで下さる、これ以上の平安はあるのでしょうか。

     主イエス様が去って行かれたからこそ、約束の聖霊様が来られたのです。そして今も、私たちと共にいて下さいます。私たちの中に住んでいて下さるのです。
     創造主なる神様がいつも側におられます。これほどの恵みが一体どこにあると言うのでしょう。》

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