◇◆◇日々のみ言葉
2019年1月2日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き6章8節】
6:8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
◎ショートメッセージ
《今日から、また使徒の働きに戻ります。
エルサレム教会は、七名の執事を選びました。そして十二使徒たちは、主イエス様から託された「良き知らせ」を伝えて行ったのです。
教会に起こった配給の問題は一段落し、七名の執事たちにも余裕が出て来たのでしょうか。
特に、筆頭に名前を挙げられたステパノの働きは目を見張るものがあったのです。
ルカは、
「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた」と書き記しています。
これはまさしく、主イエス様が預言され、約束されたことなのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。私を信じる者は、私の行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。私が父のもとに行くからです。」(ヨハネの福音書14:12)
ステパノが行なっていたわざが、具体的にどのようなものであったのかは、ルカは書き記してはいません。それ故、推測するしかありません。
まず考えられることは、病のいやしであると思われます。そして次に、悪霊からの解放があげられます。
また、ステパノは、毎日の食卓の配給と準備が、メインの仕事でしたから、主イエス様がなされた「五千人の給食」のように、少ない食べ物を皆が満腹するまで、増やすような不思議なわざを行なったのかも知れません。
しかし、ここに大切な真理があります。
それは、ステパノ個人の力ではないと言うことです。ステパノは、主イエス様の恵みと哀れみに満ちあふれ、聖霊様の力によって、それらのわざを行なったと言うことなのです。
私たちは、どうしても「目先に見える」ものにとらわれてしまうのです。ステパノは、まさしく神様に用いられた器であり、そして通り良き管としての働きを成していたのです。
すべての栄光は、主に捧げられるものです。人を見るのではなく、その人を通して働かれる神様に目を向けるべきなのです。
こうして神の言葉は、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常に増える行ったのです。その一端として、ステパノの働きがあったからこそとも、言えるでしょう。
また多くの祭司たちが信仰に入ったことから、エルサレム市内では、パリサイ人や律法学者たち、サドカイ人や祭司長たち、民の長老たちは、非常に危機感を持ったことは、想像に難くないことです。
そして、その矛先が、いよいよステパノに向けられることになります。》