◇◆◇日々のみ言葉
2019年2月5日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き7章55節~56節】
7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所となります。
議会は騒然としたのです。
その時、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエス様を見て、こう言ったのです。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
ここで一つの疑問が湧き上がるのです。
主イエス様の幻影を、確かにステパノはその目で見たのです。しかし、その他の人には見えたのでしょうか、と言うことです。
この光景は、決して幻でもなく、また白昼夢でもなく、実際に大空が開け、雲の中に父なる神様の栄光と、その右の座に立っておられるイエス様の姿が見えたのではないでしょうか。
確かにこの場にサウロはいました。もしこの時、この光景を彼が見たのなら、その時点において、改心した可能性は、無きにもあらずではないでしょうか。
しかし、サウロが改心するのは、まだ先のことなのです。もちろんギリシャ人の医者ルカはここにはいません。この時からかなりの年月を経た後、ルカはパウロによって救いに導かれるのです。
ルカの福音書とその続編である使徒の働きは、ローマに軟禁されていたパウロの家において、パウロの監修の元に執筆されたのですから。
そうだとするならば、議員の中に、ステパノのメッセージを一部始終聞き、そしてこの光景を目撃した人物が存在したのではないでしょうか。
もちろん聖書には書かれてはいませんし、私個人の憶測にしか過ぎません。
ステパノが眠り(死)に着く時、その最後の言葉を耳にし、また主イエス様の十字架上において発せられた言葉をも耳にし、祭司長、祭司、あるいはパリサイ人、律法学者たちの中から、救いに導かれ、主の弟子となった者が存在するのではないでしょうか。
そしてその人が、ステパノが見た光景と全く同じ光景を見たのではないでしょうか。
「見なさい。」
ステパノは、この時、天を指して言いました。とすれば、その指先の示す方向を見るのが、人の常と言うものです。よって、見た人もいたのではないでしょうか。
イエス様も良く言われました。
「見よ。」
「見なさい。」
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
このステパノの叫びは、今現在の私たちに対しても、なお向けられているメッセージなのです。》