◇◆◇2019年2月17日第三主日礼拝
◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書17章13節~17節】 (新約p.197下段左側)
17:13 「私は今みもとにまいります。私は彼らの中で私の喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。
17:14 私は彼らにあなたのみ言葉を与えました。しかし、世は彼らを憎みました。私がこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。
17:15 彼らをこの世から取り去って下さるようにというのではなく、悪い者から守って下さるようにお願いします。
17:16 私がこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
17:17 真理によって彼らを聖め別って下さい。あなたのみ言葉は真理です。」
◎メッセージの概要【真理のみ言葉】
《主イエス様は、父なる神様に、十一弟子たちの為に、取りなしの祈りをされています。
主は「私は彼らにあなたのみ言葉を与えました。」と言われましたが、イエス様が語られた言葉は、父なる神様が語られた言葉と全く同じであることを私たちはすでに学びました。
さて、イエス様は、バプテスマのヨハネから受洗された後、聖霊はイエス様を荒野に導き、40日40夜悪魔の試みを受けられます。その時、主はみ言葉(旧約聖書)を引用されたのです。
『それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせる為であった。』
それゆえ、イエス様は十二使徒に、その「み言葉」をお与えになられたのです。そしてそのことは、ペンテコステ以後に救われたすべての信徒にも当てはまることなのです。
その次に、イエス様は、「彼らをこの世から取り去って下さるようにというのではなく、悪い者から守って下さるようにお願いします。」と祈られました。
イエス様が、弟子たちと共に送られた3年半の公生涯において、彼らはイエス様の御名の中に守られていました。
しかしご自身がやがて去って行かれた後には、父なる神様の守りが必要であることから、そう願われたのです。
ヨブ記によりますと、サタンが主なる神様に、
「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。」と、言ったことが書かれています。
このことから父なる神様は、ご自身を信じ信頼する者を守って下さるお方であることが分かります。
また、本日の聖書箇所においてイエス様は、
「私がこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。」と二回言われています。そしてその真理を立証するものが、み言葉なのです。
最後の晩餐においてイエス様はこのように語られました。
「だれでも私を愛する人は、私の言葉を守ります。そうすれば、私の父はその人を愛し、私たちはその人のところに来て、その人と共に住みます。
あなたがたが聞いている言葉は、私のものではなく、私を遣わした父の言葉なのです。しかし、助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、私があなたがたに話したすべてのことを思い起こさせて下さいます。」
そして、
「私が父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が私についてあかしします。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊は私の栄光を現わします。私のものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」とも言われました。
つまり、イエス様が語られたみ言葉は、真理の御霊が来なければ、理解出来ないことを言われているのです。
考えても見て下さい。皆さんも最初に聖書を手に取った時に、そこに書かれていることがちんぷんかんぷんであったはずです。
聖書は、聖霊の導きがなければ理解出来ないように作られており、また本当に生きている言葉であって、特に新約聖書に書かれた主イエス様のお言葉は、マナのように、霊的食物でもあるのです。真理は真理の御霊、聖霊によってのみ、その奥義の扉が開かれるのです。
それ故、たとえ著名な聖書研究者であったとしても、聖霊
の導きがなければ、知識のみの信仰であって、新生を体験していないことも有り得るのです。
私たち先に救われた者は、真理を知っています。
「私が道であり、真理であり、命なのです。」と。
そして父なる神様のご命令とは、すべての人が、イエス様を信じて救われ、永遠の命を得ることなのです。
私たちは最後の白い御座の裁きを知っています。
私たちは、「永遠の命」すなわち「天国」、そして「永遠の滅び」すなわち「地獄」が有ることを知っています。人は死んだ後にはどちらかに行かなければならないのです。
「救いの扉」はまだ開かれています。一人でも多くの人々が、狭き門から入ることが出来るように、私たちは、その開かれた門の扉の位置を示す道しるべなのです。
そしてイエス様の父なる神様への取りなしの祈りによって、圧倒的に守られています。悪魔は、神様の許しがなければ、私たちに指一本触れることは出来ません。真理のみ言葉に従うのなら、私たちは常に勝利者となり得るのです。》