◇◆◇日々のみ言葉
2019年2月24日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き8章16節】
8:16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
さて、エルサレム初代教会は、使徒の中において、一番用いられていた二人組のチーム、すなわちペテロとヨハネを送り出して来ました。
これは、様子を見に行く意味もあり、また使徒たちが主イエス様についての正しい教えを、救われたばかりの人々に、正確に授ける為に、地方にリバイバルが起こった時には、教会は使徒を派遣したのです。
しかもサマリヤは特別な地方であって、この時点でも、ユダヤの人々との交流は無かったからです。
そのサマリヤに、かつてはエルサレム初代教会の執事として任命されたピリポと、おそらくチームのもう一人の信徒によって、大きなリバイバルが起きたのです。
もちろんリバイバルを起こされたのは、聖霊様であって、ピリポはあくまで、神様に用いられた「土の器」に過ぎず、栄光はすべて神様に帰されるものです。
さて、「ペテロとヨハネのふたりは、サマリヤへ下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。」と、ルカは書き記しています。
なぜなら、「彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。」からです。
人が自分の罪を認め、悔い改め、主イエス様を救い主として心から信じ、「イエス・キリストは、私の主である。」と告白するならば、間違いなくその人は救われることになります。
黙示録によれば、
『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼の所にはいって、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。(黙示録3:20)』、と書かれていますように、
その時、間違いなく、主イエス様の霊であられる聖霊様は内住して下さり、その人の霊は新しく生まれ変わることになります。
しかし、それが「聖霊のバプテスマ」ではないのです。聖霊様が内住されることと、聖霊のバプテスマは、別なことなのです。
ただし、それが同時に起きることは有りえます。つまり、「新生」と「聖霊のバプテスマ」が同時に起きることは有りえるのです。
その最も良い事例が、イタリア隊の百人隊長コルネリオとその家族なのです。
さて、ここで筆者の証をさせていただきます。
私はトラクトによって救われた者です。それまで一度も聖書を読んだこともなく、教会に一回も行ったことはありません。
しかし、妹から手渡された羽鳥明先生のトラクトによって、尾瀬の山小屋の一人部屋において、生きておられる主イエス・キリストに出会いました。
そしてその後、妹たちに連れられて教会に導かれ、バプテスマを受けました。その数年後に、誰もいない職場において、「聖霊のバプテスマ」を受けたのです。
聖霊様が内住される事と、「聖霊のバプテスマ」とは、本当に異なることなのです。そして真に「異言」が与えられるのです。これは体験した者だからこそ、出来る証しです。》