• 日々のみ言葉 2019年3月6日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年3月6日(水)

    ◎聖書箇所【使徒の働き8章32節~33節】
    8:32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
    8:33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」

    ◎ショートメッセージ
    《かつては、エルサレム初代教会の執事として、殉教したステパノと共に任命されたピリポは、教会が迫害された時に、伝道者としてサマリヤの町にやって来ました。
     ピリポが為しえた奇跡やしるしを通して、多くの人々が救われたのです。その後、エルサレムから、その知らせを聞きつけ、使徒ペテロとヨハネが遣わされて来たのです。そして「聖霊のバプテスマ」を授け、エルサレムに戻って行きました。

     しかし主イエス様は、ピリポにその町に留まるのではなく、御使いを通して、旧ガザへの道に向かうよう指示されたのです。

     ピリポは、すぐさまその命令に従い、立ってガザへ向かいました。そこへ一台の馬車が通り過ぎようとしていたのです。

     ピリポが見ますと、何と馬車には巻物の聖書を手にし読んでいた人物に目が留まったのです。
     彼は「イザヤ書」を読んでいたのです。

     それは、悲しみと苦しみのメシア預言とも言われるイザヤ書53章でした。

    『私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
     彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
     彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
     まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
     しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
     私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
     彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
     しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
     彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
     しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみ心であった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみ心は彼によって成し遂げられる。
     彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。私の正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
     それゆえ、私は、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちと共に数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ書53:1 ~ 53:12)』

     もちろん、手書きの写本には、章も節も書かれてはいません。またこのエチオピヤ人は、ヘブル語が読め、また話せることが分かります。

     明日も同じ箇所から学びたいと思います。》

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