◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月17日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き9章8節】
9:8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
◎ショートメッセージ
《エルサレムから同行していた兵士たちは、声は聞こえても、誰も見えないので、ものも言えずに立っていました。
「主よ。あなたはどなたですか。」
「私は、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
主イエス様の命令は、「立ち上がりなさい」と言うことでした。サウロは、主イエス様の輝く光に倒されて、伏しているのです。
私たちも、このように倒されるような時があるかも知れません。しかし、その時にまずしなければならないことは、立ち上がることなのです。
そこで、サウロは、自分から地面から立ち上がりました。
その次の命令は、「町にはいりなさい」と言うことです。サウロと兵士たちは、ダマスコを目指していました。そして間もなくダマスコの「まっすぐ」と言う門に差し掛かった時に、突然に主イエス様の訪問があったのです。
主イエス様は、エルサレムに引き返すことを禁じられたのです。後戻りをしないで、前に進め、と言うことです。よってサウロは、兵士らに手を引かれ、ダマスコの町に入って行きます。
これは、やがてサウロが兵士らに引かれて処刑されることへの預言でもあるのです。もっともその時の兵士は、ローマ兵に代わっています。
私たちも、何か大きな試練があった時には、後戻りをせずに前に進むことを主が願っておられるのです。
そして最後の命令が、「しなければならないことが告げられる」と言うことです。要するに、告げられるその時まで待て、と言う意味なのです。
これがなかなか出来ないことなのです。人は、待つことが出来ないのです。待つことが難しいのです。なぜなら受け身だからです。なぜなら自分の意思ではなく、他の意思に身を委ねるからなのです。
それまでのサウロは、まるで鉄砲玉のように、自らの意思において、まっすぐに進んで来ました。ここにもダマスコの門との関連性があるのかも知れません。
だからこそ、主イエス様は、彼の目を盲目にされたのです。そして目が見えないこととは、どのようなことなのか、実地訓練されたわけです。
この後、兵士たちは、エルサレムに引き返したことは、ほぼ間違いないことです。まず大祭司への報告もありますし、また神殿の警備と言う、本来するべき任務があったからです。
兵士たちは、ダマスコにあるユダヤ人の会堂にサウロを連れて行ったのです。そこが最初の目的地であったからです。サウロはそこで祈り、待つことになるのです。》