◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月20日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き9章10節~12節】
9:10 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
9:11 すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
9:12 彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
兵士たちに手を引かれて、ダマスコの町にはいって行ったサウロは、三日間、飲み食いをしませんでした。もちろんこの時には、まだ何も見えません。
サウロは、ダマスコにあるユダヤ人の会堂で祈っていたのです。ルカは「ユダの家」と書いていますが、これは会堂のことです。
そして、ダマスコに潜んでいた主のしもべであるアナニヤと言うユダヤ人に、主イエス様が現われたのです。
アナニヤは幻と言っていますが、これは白昼夢のことであって、実際には、主がリアルな姿で、突然現われたと私は思っています。
「アナニヤよ。」
「主よ。ここにおります。」
「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
主イエス様は、アナニヤに現われる前に、すでにサウロに「幻」を見せていました。この時には、まだサウロは目は開かれていませんから、ひざをかがめて祈っているサウロの意識の中に、その映像を送られたかと思われます。
さて、アナニヤが何時、主の弟子になったのかについては、昨日考えた通りです。
ところで、「アナニヤ」と言いますと、エルサレム初代教会内で起こった「アナニヤとサッピラ」の悲しい事件を思い起こさないでしょうか。
もちろん、ダマスコのアナニヤは、そのアナニヤと同一人物ではありません。彼はすでに、故人になっています。
しかし私は思うのです。
主イエス様が、あえて同名の人物を用いられたことを。
なぜなら、これはシモン・ペテロに対する、間接的であっても強い忠告となるからです。
かつて、悔い改めの機会を与えずに、裁きを下してしまったことにです。あの事件は「教会の戒規」ではなく、間違いなくシモン・ペテロの失敗です。
今回、同名であるアナニヤと言う人物によって、使徒パウロが誕生することになるのですが、その事実こそが、自他共に認める使徒のリーダーであるシモン・ペテロへの、謙遜を促すメッセージとなり得るからなのです。
裁き主は、主イエス様だけなのです。このお方だけが裁く権利を持っておられるのです。
主イエス様は、自分を裏切ったイスカリオテのユダに何度も何度も、そして最後まであきらめずに、悔い改めを促す機会を与えられたのです。》