◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月24日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き9章17節~19節】
9:17 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされる為です。」
9:18 するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
9:19 食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと共にいた。
◎ショートメッセージ
《「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
「彼は祈っています。行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器です。彼が私の名の為に、どんなに苦しまなければならないかを、私は彼に示すつもりです。」
名うてのキリスト教迫害者であるサウロが、回心して信者になったと言うことがあり得るのでしょうか。
この時のタルソのサウロの名は、主イエス様を信じ従う群れの人々の間においては、まさに恐怖の何物でもなかったはずです。
男、女にかかわらず、イエスを主として告白する者は、強制的に連行され、背教しない限りには、石打の刑とされたからです。
後のパウロは、自分自身のことを明確にその罪を認め、証しています。もちろんこの時の彼は、そうすることによって、まことの神に仕え、忠誠を尽くしていると思っていたのです。
しかしその行ないは、まことの神様であり、創造主である主イエス・キリストを迫害し、逆らっていたと言うのですから、まさしく盲目の何ものでもありません。
さて、アナニヤは、あらん限りの勇気を振り絞って、ダマスコにあるユダヤ人の会堂に出向いて行きました。
ここで学ぶべき大切なことは、主イエス様の言葉を信じたことにあります。そして「出かけて行った」ことです。つまり従い行動したのです。
私たちは、確かに「主の語られた言葉」を信じます。しかし大方にして、従い行動することに対し、「いや、ちょっと待て」と、尻込みしてしまうのです。
アナニヤのように、すぐ行動することを、主イエス様は求めておられます。
アナニヤが、ユダヤの会堂に入ると、主イエス様が言われた通りサウロはひざまずいて祈っていました。これは悔い改めて、回心した姿の何ものでもありません。
会堂の扉が開き、誰かが歩いて近づいて来る音をサウロが耳にした時、彼の霊は、それが主イエス様の言われたアナニヤであることを確信したと思われます。
「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされる為です。」
聖霊に満たされること、これこそが、信徒が常に望むべきことなのです。このお方が私たちの中に住んでおられるからこそ、私たちは日々生きて輝く力をいただくことが出来るのです。
明日も同じ箇所からです。》