• 日々のみ言葉 2019年3月25日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年3月25日(月)

    ◎聖書箇所【使徒の働き9章17節~19節】
    9:17 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
    9:18 するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
    9:19 食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと共にいた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。

     アナニヤは、ダマスコの会堂に入って行きました。
     そこには、主の前にひざまずいて祈っている、かつての迫害者がいたのです。

    「兄弟サウロ」

     この呼びかけに注目してほしいのです。アナニヤの心の中には、サウロによって投獄され、死んで行った多くの仲間たちがいました。もしかしたら、知り合いや友人がいたかも知れないのです。その敵に向かって「兄弟」と呼びかけているのです。

     この時、サウロの心の中に何が起こったのでしょうか。それは「赦された」と言う感覚、あるいは自覚と確信が与えられたと私は思うのです。

     もしアナニヤが、
    「よくもダマスコまでやって来たな。この人殺しの迫害者め。おまえなんかの為に、私が来なければならないとは。主イエス様の命令で、仕方が無く私はおまえの目を開きにやって来たのだ。本当は、一生見えなければ良い。そして乞食をしながら生き恥をさらせば良い。それこそがおまえにふさわしい報いなのだ。」
     と言ったとしたら、どうであったでしょうか。

     私は使徒パウロは誕生しなかったと思うのです。

     しかしアナニヤは、
    「あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
     と優しく語りかけ、そして按手をし、サウロの為に祈ったのです。

     もしアナニヤが主の命令を拒んだのなら、あるいは祈らなかったのなら、パウロの目は永遠に閉ざされたままであったに違いありません。

     主イエス様は、このように人を用いられるのです。人を通して、ご自身のミニストリーを成されます。

     するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになりました。

     サウロは立ち上がりました。そして、アナニヤに抱きつき、涙を流し、感謝と謝罪の言葉を何度も、何度も繰り返したと、私は確信しています。

     そしてアナニヤによって、水によるバプテスマを授かり、この時に「聖霊のバプテスマ」をも授かり、全く生まれ変わった新しいサウロ、いやパウロが誕生したのです。

     それから、アナニヤと他の信徒たちと共に、祝いの食事を囲み、サウロは励まされ、元気づいたのです。

     その後、サウロは数日の間、ダマスコの主イエス様の弟子たちと共にいたと、ルカは書き記していますが、ただぼやっとしたのではなく、サウロは主イエス様がなされた多くの奇跡と証と教えとを、彼らから聞き出していたのです。》

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