◇◆◇日々のみ言葉
2019年3月30日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き9章25節】
9:25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。
◎ショートメッセージ
《サウロがアラビヤからダマスコに戻ってから三年間が経って後、ユダヤ人たちはサウロを殺す計画を立てましたが、その陰謀はサウロに知られてしまいました。
彼らはサウロを見つけしだい殺してしまおうと、多くの間者を投入して、昼も夜も町の門を全部見張っていたのです。
この事に関して、パウロは、後にコリント教会への書簡に、このように書き記しています。
『ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。(第Ⅱコリント11:32~11:33)』]
ここから分かりますように、ユダヤ人たちは、ここでも自分たちの手を汚すことをせず、アレタ王の代官を用いて、サウロを捕らえようとしたのです。
主イエス様の時もそうでした。
大祭司や律法学者とパリサイ人たちは、自分たちの手を汚すことなく、ローマ総督ポンテオ・ピラトをそそのかし、彼らの手によって、主イエス様を十字架につけたのです。
実際に、ゲッセマネの園にやって来た兵士たちはローマ兵であり、イエス様の十字架刑を執行したのも、そして着物をくじによって分けたのも、ローマ兵だったのです。
まさしくここに、ユダヤ指導者たちの狡猾さが計り知れるのです。
さて、ここでルカは不思議なことを何気なく書き記しています。
「彼の弟子たち」と言う言葉です。
何と、サウロに師事する弟子たちが存在していたと言うのです。ダマスコにある主イエスの教会に、サウロを慕い、あるいはサウロによって救いに導かれ、その教えを請う弟子たちが、すでに存在していたと言うのです。
考えて見れば、これは当然と言えば当然なのです。
パウロはこう証しています。
『「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。(使徒の働き22:3)』
要するに、ユダヤ教については、エリート中のエリートであり、その知識と博学さは、ユダヤ人のトップなのです。それほどにガマリエル門下は、名門中の名門なのです。
よってサウロは、旧約聖書全般を縦横無尽に用い、イエス・キリストこそがメシヤであることを論証し、それに対して誰も論破出来る者はなく、聖霊によって照らし出された知識と恵みの言葉から、この頃から多くの弟子たちを導く存在であったと言えるでしょう。
さて、サウロはダマスコの城壁から、かごに乗せられてつり下ろされたと書かれていますから、もしかしたらサウロは、私たちが思ったよりも、かなり小柄な男性であったかも知れないのです。
取税人ザアカイのように。
時刻は真夜中。
ついにサウロはダマスコを後にします。ここから使徒パウロの伝道の旅が始まろうとしています。
そしてその道は、真に苦難の連続であることを、つり下ろされたかごから降りたサウロは、まだ知るよしもないのです。》