◇◆◇日々のみ言葉
2019年4月1日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き9章28節】
9:28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちと共にいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。
◎ショートメッセージ
《ダマスコをかろうじて脱出したサウロは、かつて自分が住んでいたエルサレムに戻って来ました。
そして、主イエス様の弟子たちの仲間にはいろうと試みたのですが、信徒たちは彼を弟子とは信じることが出来ず、恐れていたのです。
しかし、使徒のリーダーであったペテロは違っていました。
ガラテヤ人への手紙によりますと、
『それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。(ガラテヤ人への手紙コリント1:18~1:19)』と書かれています。
ペテロは、サウロを向かい入れたのです。またサウロは、やがてエルサレム教会の牧師として用いられる主の兄弟ヤコブにも会っています。
しかし、信徒たちから恐れられていた為、一旦エルサレムを離れます。ところが、「慰めの子」と呼ばれたバルナバは、サウロの面倒を見ることを引き受けるのです。
そしてそれからさらに十四年たって、サウロは、バルナバと一緒に、弟子のテトスも連れて、再びエルサレムに上ります。
その時、バルナバは、サウロを使徒たちの所に連れて行き、サウロがダマスコに行く途中で主イエス様を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに話したのです。
そして、それ以降は、エルサレムで弟子たちと共にいて、教会に自由に出はいりし、大胆に自分に起こったことを証したのです。
しかし私は思うのです。
ペテロを始めとする十二使徒たちが、そしてエルサレム初代牧師のヤコブが、よく、かつての残虐な迫害者であったサウロを赦したと言うことをです。
このサウロの迫害によって、エルサレム教会は、ほぼ壊滅したのです。多くの仲間が散らされ追いやられ、ある者は捕らえられ、そして殉教して行きました。
その張本人であるサウロを、たとえ回心したにせよ、悔い改めたにせよ、また涙を流して心から謝罪したにせよ、その事実を変えることは出来ないのですから。
この時、ペテロや他の使徒たちも、イエス様が言われた教えを思い起こしたに違いないのです。
主イエス様は、弟子たちに、
『「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたの所に来るなら、赦してやりなさい。」(ルカの福音書17:3~17:4)』と言われたのです。
「赦す」と言うことは一番難しいことだと思います。そのことを誰もが十分に知っているはずです。
正直言いまして、私にはなかなか難しいことなのです。そうです。人には出来ないことなのです。
しかし主イエス様は「赦しなさい」と言われるのです。
『人には出来ないが、神には出来る。』
「赦す」為には、聖霊様の助けと力が、絶対に必要です。助け主であられる聖霊様が、私たちにその力と、一歩踏み出す勇気を与えて下さるのです。そうすれば、赦すことは不可能ではないのです。
なぜなら、主イエス様の十字架によって、私たちの罪は赦されたからです。》