• 2019年4月14日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年4月14日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【マタイの福音書21章1節~11節】 (新約p.87下段左側)
    21:1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
    21:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、一緒にろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、私のところに連れて来なさい。
    21:3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
    21:4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
    21:5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
    21:6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
    21:7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
    21:8 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
    21:9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
    21:10 こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
    21:11 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。

    ◎メッセージの概要【しゅろの日曜日】
    《今日は、「しゅろの日曜日」にあたります。
     「イエス様のエルサレム入場」の場面は、四つの福音書に書かれています。そして、そこで引用された「メシヤ入場預言」も、すべての福音書に掲載されています。
     その預言とは、ゼカリヤ書です。イエス様がお生まれになる500年以上前に、祭司ゼカリヤによって預言されました。
    『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。』
     この預言も良く知られていました。
     さて、医者ルカは、その場に居合わせませんでしたが、かなり調べ上げ、大切な記事を掲載しました。
    『エルサレムに近くなった頃、都を見られたイエスは、その都の為に泣いて言われた。
    「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」』と。
     またヨハネは、弟子たちでさえ、預言がこの時成就したことを知らなかったと述べています。
    『その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えの為に出て行った。そして大声で叫んだ。
    「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
     イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
    「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
     初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。』
     イエス様は、十字架にかけられる受難週の初めの日、日曜日に預言通りに入場されたのです。民衆は大声援を送って迎えいれました。しかし、それから数日後、彼らは「十字架につけろ」と叫ぶことになるのです。
     それは、ゼカリヤに書かれた預言が成就したことを、ユダヤの指導者たちや民衆、そしてなんと弟子たちでさえ、分からなかったからです。
     しかし、弟子たちは、主イエス様が復活された後、その真実を知りました。
     さて、私たちは、このお方が誰であるのかを知っています。それは、聖書が残されているからです。聖書がなければ、私たちは創造主であられる真の神様が誰であるのか、全く知ることが出来なかったでしょう。
     人間には、聖書が与えられています。この書物は、真に「誤りなき神の言葉」であって、私たちクリスチャンが唯一、規範として行く書物なのです。
     さて、「しゅろの日曜日」にイエス様が入場されたのですが、ユダヤの人々は、旧約聖書が与えられていたにもかかわらず、イエス様が、自分たちの先祖を、出エジプトされた神様であることが分かりませんでした。
     このように、選民であっても、敵である悪魔によって、盲目とされているのです。
     そうだとしたら、私たち異邦人である日本人は、なおさらのこと、全く暗闇の中に閉ざされていると言った具合でしょう。
     それでは、先に救われた私たちは、いかにして証しすべきなのでしょうか。
     使徒パウロは、このように命じています。
    「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」
     間もなく主イエス様は、公の教会である花嫁を迎えに来られます。しかし、まだしばらくの時と猶予が、日本には残されています。
     クリスチャンは、輝くべきです。それは、喜びを通して、感謝を通して、そして赦すことと裁かないことにおいてです。
     なぜなら私たちには、内住の聖霊様によって、内からあふれんばかりの、大きな力が与えられているからです。》

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