◇◆◇日々のみ言葉
2019年4月24日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き10章17節~18節】
10:17 ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。
10:18 そして、声をかけて、ペテロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっているだろうかと尋ねていた。
◎ショートメッセージ
《ペテロが見た幻とは、
おそらく場所は、ヨッパの皮なめしのシモンの家の屋上に違いありません。
そして祈りを捧げる為に、空を見上げると、雲と青空がぽっかり開いていて、突然、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上にゆっくり降りて来ます。そして、ペテロのすぐ前に止まったのです。
その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいたのです。
実は、これはおかしな訳だと言えます。もし、そこに聖なる家畜の牛、羊、山羊などや、食べても良い鶏やウズラなどが一緒にいたとしたらどうでしょうか。
なぜなら『地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいたのです』から。
シモン・ペテロは、迷うことなく、これは選びの問題であり、食べて良い動物や、魚や鳥はどれなのか、と言うことになります。
よって私がペテロなら、
「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」と主イエス様が質問されたのなら、
「主よ感謝します。それでは、その子牛と小羊とウズラをいただきます。」と言います。
そして、
「これは間違いなく神様は、『選び』を教えておられるに違いない。」と、その幻を解釈すると思います。
違うのです。
その器には、申命記に書かれた、ユダヤ人が食べることを禁止された動物によって、満ちあふれていたのです。
私は、確信して言いますが、その器の中に最も多くいたのが「豚」だと思っています。
ルカの福音書によりますと、
『またこう話された。
「ある人に息子がふたりあった。
弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。(ルカの福音書15:11~15:16)』と、主イエス様の話された「放蕩息子のたとえ」が書かれています。
そうなのです。「豚」は汚れた動物なのです。
「主よ。私は、今まで食べたことはありません。」
この幻は、後のペテロが、コルネリオの家族を始め、多くのギリシャ人や異邦人と食事をするようになり、何と好んで豚を食べることになることを預言したものなのです。
ところで、今現在も正統的なユダヤ人は、絶対に「豚肉」を食べません。メシアニック・ジュー(イエス様をメシヤとして信じ受け入れたユダヤ人と言う意味)の人々も、食べません。ロースハムも、ソーセージも食べません。彼らは救われていても、ユダヤ人の慣習の中に生きています。
それだからこそペテロは、
「いま見た幻はいったいどういうことだろう。」、と思い惑っていたわけです。明日も同じ箇所からです。》