• 2019年5月5日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年5月5日第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【マルコの福音書10章13節~16節】 (新約p.79上段右側)
    10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
    10:14 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
    10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
    10:16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

    ◎メッセージの概要【子どものように】
    《さて今日は、「こどもの日」です。今日は、その日に関連するメッセージとなります。 さて、マルコの福音書に書かれたこの記事は、マタイ、ルカの福音書にも掲載されています。三つの共観福音書に掲載されたことは、非常に大切な真理を教えていることが分かります。
     マルコとマタイは、ほぼ同じ内容ですが、ルカの福音書は、少し表現が異なっています。
    『イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。所が、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。』
     何とルカでは「子どもたち」ではなく「幼子たち」となっているのです。それでは、子どもたちと幼子たちとは、どう違うのでしょうか。その答えも、聖書に記載されているのです。
     イエス様がお生まれになった時は、御使いは何と言いましたか。答えは「みどり子」です。『八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
     そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
     彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神を褒め称えて言った。』
     ここでは「みどり子」ではなく「幼子」となっています。そしてその後、夢でヨセフはマリヤと幼子イエス様を連れてエジプトに行くことになります。
     ヘロデ大王は紀元前四年に死にますから、ベツレヘムの幼子を皆殺しにした時には、すでに二年が経っていたことになります。
     その時また、エジプトにいたヨセフに、御使いによって、夢のお告げがあるのです。
    「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
     ここでも「幼子」なのです。この後、ヨセフはマリヤと幼子イエス様を連れてナザレに戻ります。ここから「子どもたち」とは「幼子」のことであって、その年齢は0歳から3歳、しかもユダヤは数えですので、実際には2歳までの子どもを指すことになるのです。日本でも、「三つ子の魂百まで」と言うことわざがあるではありませんか。
     赤ちゃんが一番かわいい時は、やはり0歳から数え3歳ではないでしょうか。この時に、赤ちゃんはその笑顔で、最も親孝行をするのです。
     イエス様は言われます。
    「子どもたちを、私のところに来させなさい。神の国は、このような者たちのものです。」
     この言葉から、0歳から数え3歳までの幼子たちも、携挙の時には、一緒に取り去られることを暗示していると思えるのです。
    「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
     幼子は、全面的に両親に信頼しています。そしていつも笑顔です。喜んでいるのです。
     しかしその反面、大人はどうでしょうか。何と疑い深いのではありませんか。しかも老人になればなるほど、心はかたくなになって行きます。信じようとはしないのです。それだからこそ、主イエス様は、「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、はいることはできません。」と言われるのです。
     ここでイエス様が言っておられることには、実はもう一つの意味があります。それは、
    『弟子たちがイエスのところに来て言った。「天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。」
     そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。
    「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」』
     ここからユダヤの子どもたちは、自分を低く見ていることがわかります。つまりへりくだっているのです。へりくだる者こそ「神の国」にふさわしいのです。
     さて私たちは、なぜクリスチャンなのでしょうか。それは、主への信仰によってです。ヨハネは確信を持って勧めています。
    『神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とは、イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。』と。
     私たちは、このお方を信じ、信頼し、従い、そして命を保つ者なのです。》

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