• 2019年5月12日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年5月12日第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章1節~14節】 (新約p.205下段最初)
    21:1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。
    21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子が一緒にいた。
    21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちも一緒に行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
    21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。
    21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」
    21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
    21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
    21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。
    21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
    21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
    21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。
    21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。
    21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
    21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。

    ◎メッセージの概要【三度目の現われ】
    《引き続き、主の復活後の出来事について学んで行きます。今回は、ヨハネが言う「三度目の現われ」について考えて見ましょう。
     三度目と言うことは、一度目と二度目があったと言うことになります。一度目は、主イエス様が復活された週の始めの日、すなわち日曜日の夕方に、鍵がかかっていた部屋に、突如として来られた時のことを指しています。その時十一弟子の一人トマスはいませんでいした。また、ルカはイエス様の命令が、「都に留まっていなさい」と言うことを書き記しています。
     二度目は、さらに一週間後の日曜日のことです。同じように、主イエス様が現われました。この時にはトマスもいたのです。
     さて、ヨハネの福音書21章は、いっきにテベリヤ(ガリラヤ)湖の場面へと移って行きます。ところで、イエス様の最初の命令は何であったのでしょうか。
     十字架にかかられる直前、ゲッセマネの園に弟子たちと共に行かれる時にイエス様は、
    「あなたがたはみな、今夜、私のゆえにつまずきます。『私が羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。しかし私は、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」と預言されました。
     また復活された日、女たちに現われたイエス様は、「恐れてはいけません。私の兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会えるのです。」と伝言されました。
     最初の命令は、「ガリラヤに行け」なのです。しかしガリラヤと言いましても、非常に広いのです。どこへ行けば良いのでしょうか。
     ガリラヤ宣教の本拠地となったのはカペナウムです。そのカペナウムには、シモン・ペテロと弟アンデレの家があります。エルサレムからカペナウムまでは、距離にして120キロ以上あります。一日40キロ歩くとして、3日はかかります。
     二度目の現われの時に、イエス様は再度、ガリラヤに行くことを命じられたのです。おそらく翌日の月曜日の朝早く彼らは出発したはずです。そして3日間かけてカペナウムのシモン・ペテロの家に着きました。これも推測なのですが、そこで弟子たちは主イエス様の来られることを待ち望んでいたと思われます。しかし数日が過ぎても主の現われはなく、ついに安息日となり、安息日が開け、同じく週の始めの日の夜、すなわち日曜日に、しびれを切らせたシモン・ペテロが、「私は漁に行く」と言ったのです。それが本日の聖書箇所なのです。
     弟子たちがシモン・ペテロの家において主の現われを待っていた証拠は、「小舟」にあります。この舟こそシモン・ペテロの持ち舟だからです。彼らが他人の舟を無断に使用することはあり得ないことなのです。しかしその夜は何も取れず朝となりました。そこへ主イエス様が現われるのです。
    「子どもたちよ。食べる物がありませんね。舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」
     そこで、彼らは網をおろすと、何と153匹の魚がかかったのです。実は以前、これと同じことが、四人の漁師の召命の時に行なわれたのです。
    『シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。
    「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。」
     そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。それは、大漁のため、彼も一緒にいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
     シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。
    「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」』
     この時と同じ経験が弟子たちには必要でした。つまり主イエス様を信じ従う者は、決して飢えることがないことを再度教えておられるのです。必要は十分過ぎるほどに与えられます。もちろん主イエス様を第一とする者たちにです。それゆえ主を信じる者は、思い煩う必要はないのです。主を信じる者はあわてる必要がないのです。
     この後、イエス様は、彼らにある山に登るように命じられます。この山こそが、かつて十二使徒を任命された場所であり、そこで再度十一使徒を任命することになるのです。》

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