• 2019年5月26日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年5月26日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き1章4節~5節】 (新約p.208上段真中)
    1:4 彼らと一緒に(食事を共にして)いるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。
    1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

    ◎メッセージの概要【彼らと食事を共にしている時】
    《今日は、主イエス様が復活されてから40日間の間に、十一使徒たちと何回食事をしたかについて考えて見たいと思います。
     まず使徒のリーダーであるシモン・ペテロが、ローマ軍の百人隊長コルネリオに語った証しの一部分を見てみましょう。
    「私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ご一緒に食事をしました。」特に、「食事をしました」と言う訳の別訳を見ますと、「食べたり飲んだりしました。」と注釈に書かれています。
     つまり彼らは、主イエス様と共にパンを食べ、葡萄酒を飲んだことになります。
     さて、話を少し前に戻します。
     ルカの福音書における「最後の晩餐」の場面です。この場所がヨハネ・マルコの家の二階の大広間であることは疑いのないことです。そこで、主イエス様は十二使徒と共に、「過越の食事」をします。
    『さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスと一緒に席に着いた。イエスは言われた。
    「私は、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒に、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、私はもはや二度と過越の食事をすることはありません。」
     そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。
    「これを取って、互いに分けて飲みなさい。あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、私はもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
     それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。
    「これは、あなたがたのために与える、私のからだです。私を覚えてこれを行ないなさい。」
    食事の後、杯も同じようにして言われた。
    「この杯は、あなたがたのために流される私の血による新しい契約です。」』ここで、イエス様は、摩訶不思議な預言をされています。
     一つは、
    「過越が神の国において成就するまでは、私はもはや二度と過越の食事をすることはありません。」と言うことであり、
     もう一つは、
    「あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、私はもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」と言うことであり、
     今までの解釈は、天の御国において、あるいは千年王国においてでなければ、イエス様はもはや食事をされることもなく、また葡萄酒を飲まれることはない、と言うものでした。
     しかし、シモン・ペテロは、はっきりと「主イエス様と食事を共にした。」あるいは「食べたり飲んだりした。」と明確に証言しています。
     これは、どのような意味なのでしょうか。つまり、否定的に肯定されているのです。
     例えば、「私はあなたがたを決して孤児にはしません。」と約束されましたが、この本当の意味は、「私は永遠にあなたがたと共にいます。」と言うことなのです。
     ここから分かりますように、イエス様の言われた真意は、よみがえった後、いやよみがえったしるしと証しとして、あなたがたと共に食事をする、と言うことなのです。そして神の国が到来した時、すなわち復活の後には、葡萄酒を飲む、と言う意味なのです。
     復活された日の夕方、十人の使徒や女たち、弟子たちが集まってました。エマオからクレオパ夫妻が戻って来てしばらくした後に、主イエス様が突然現われたのです。
     その時イエス様は、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われました。すると女たちの一人が、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエス様は、彼らの前で、それを取って召し上がられたのです。この時は夕食の準備が整えられた時なのです。この後、イエス様は十人の使徒たちや弟子たちと共に、一緒に食事をされ、聖書からご自身についての預言を説明します。 残念ながら、なぜかその場にトマスはいませんでしたが。
     お腹が空ききっていたとしたら、どうしてイエス様のみ言葉が、心に入って留まると言うのでしょう。
     二回目の現われは、その一週間後の日曜日となります。トマスはいました。その時の平行記事が、マルコの福音書に、書き残されています。
    『しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。』
     この時にも、イエス様は十一使徒たちと共に食事をします。そしてこの時に、「ガリラヤに行くように」、再度彼らに告げられたと思われます。
     三回目の現われの時は、舞台はガリラヤ湖畔に一変します。大漁で153匹もの魚が捕れたのですが、岸辺に着くと、すでに朝食の準備が整っていました。この時にも、パンを裂いて渡されます。
     そして今日の聖書箇所となりますが、これはイエス様がよみがえられてから40日目の出来事であり、昇天される直前のことなのです。彼らは主イエス様と共に食事をします。
     さて、なぜよみがえられた主イエス様は、こんなにも何度も使徒たちと食事を共にしたのでしょうか。
     その答えは、聖餐式の制定なのです。イエス様は、最後の晩餐において聖餐式を制定されましたが、その後捕らえられ、ついには十字架に掛けられます。
     弟子たちは悲しみと絶望のあまり、聖餐式の教えは吹っ飛んでしまいます。彼らは暗黒の三日間に投げ込まれるのです。しかしよみがえられたイエス様は、食事の席に現われ、十一弟子たちにパンを裂いて渡し、また葡萄酒を回され、彼らと共に食事をします。
     だからこそ、弟子たちは、主イエス様が昇天された後に、「聖餐式」を毎日のように行なったのです。
     食事こそ交わりです。聖餐式は、主イエス様の十字架と、流された血潮による新しい契約を確かに思い起こすことですが、これも復活と言う偉大な奥義があってからこそ、意味を持つものなのです。
     ヨハネの黙示録には、主イエス様の次の言葉が書き記されています。
    『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼のところにはいって、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。』》

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