• 日々のみ言葉 2019年5月28日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年5月28日(火)

    ◎聖書箇所【使徒の働き11章25節~26節】
    11:25 バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
    11:26彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

    ◎ショートメッセージ
    《アンテオケにおいて多くのギリシャ人が主イエス様に立ち返りました。この喜ばしき知らせが、エルサレム教会にまで届けられたので、エルサレム市内に残っている十二使徒と主の兄弟ヤコブが、慰めの子と呼ばれたバルナバをアンテオケに派遣しました。

     ルカは、バルナバのことをこのように書き記しています。
    『キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。(使徒の働き4:36~4:37)』と。

     ここからバルナバはキプロス島出身のユダヤ人であり、エルサレム郊外に畑を持っていたことが分かります。そしてアンテオケは、キプロス島への航路となっている港の都市であり、バルナバがその地方のことを熟知していたことも、選ばれた理由です。

     バルナバがアンテオケに到着しますと、ギリシャ人たちに大きなリバイバルが起こったいました。彼は、神様の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと、主イエスの教えと証しを持って励ましたのです。
     こうして、大ぜいのギリシャ人たちが主イエス様の救いへと導かれたのです。

     その時、サウロ、すなわち後の使徒パウロは、故郷タルソに戻っていました。なぜバルナバがサウロを探しにタルソに行ったのかは、聖書に理由が書かれていませんから推測するしかありません。

     タルソとは、キリキヤ州の首都で、皇帝アントニウスによって自由都市とされました。当時タルソは繁栄をきわめ、人口は50万を優に超えていたと言われています。
     このタルソの繁栄は肥沃なキリキヤ平原に負うところが大きく、キリキヤは亜麻、天幕用のやぎの毛織物などの原料を産する他に、リンネル織りや天幕作りなどの手工業が盛んであったのです。
     特にタルソの天幕製造は有名であって、パウロもその職を手に持っていたことは、「使徒の働き」によって知られています。
     またタルソはアテネ、アレキサンドリヤに次ぐローマ第3の学都で、すぐれた哲学者を多く生み出しました。
     このように海に向かって開けた都市、多様な民族の住む社会こそは、サウロの世界的感覚を培うのに最も適していた都市であったと言えるでしょう。
     サウロは若き学徒として、これらの文化や宗教に接し、やがて主イエス・キリストとの出会いを通して、その国際的感覚を、福音宣教のために役立て行くことになって行くのです。

     ローマ第3の都市であったタルソ。おそらくサウロの両親は、そこで大々的に天幕作りを営んでいたのでしょう。
     これは私の推測にしか過ぎませんが、サウロが生まれた時からローマ市民であったと言うことは、彼の両親あるいは祖父母が、ローマお墨付きの天幕職人であって、ローマ軍専用の天幕の制作を任されていたのではないでしょうか。
     またその大いなる功績の故に、皇帝から市民権を授かったのではないでしょうか。

     アンテオケからタルソまでは、エルサレムに戻るよりも遙かに近い距離であったようです。私は、聖霊様がバルナバをサウロの所へ導かれたと信じています。》

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