◇◆◇日々のみ言葉
2019年7月13日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き13章30節~31節】
13:30 「しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。
13:31 イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。」
◎ショートメッセージ
《パウロは語り続けます。
「エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。
そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。」
もし、彼サウロが、この当時の若き青年のサンヘドリン議員であったのなら、ここまでは、彼が直に見聞きしたことになります。
多くの聖書学者は、不思議なことに、『当時エルサレムに在住していたであろうサウロは、エルサレム市内に起こっていたことを知らず、あるいはそのうわさを聞いただけで、「ナザレのイエス」と呼ばれた預言者が、ローマ兵によって十字架刑に処せられたらしいと言うことを耳にしただけであろう。』、と考えています。
これは、例にたとえるならば、『今まさに大地震が起こったとして、これは夢か幻か、あるいは酔っ払っているから建物の体も揺れているに違いない。」と考えることと同じようなことです。
主イエス様の「十字架」は、真に歴史上の大事件であったからです。
「イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納め」たことは、彼が見ていたとしても、
「しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。」と言うことは、パウロがじかに体験したことではなく、後に使徒たちから聞いたことです。
しかし、主イエス様は、パウロにも現われて下さいました。それが「ダマスコへの途上」です。その時、サウロは、はっきりと主イエス様の声を聞き、また会話を交わしたのです。
ただ残念ながら、この時にはサウロはイエス様の御姿を、じかには目撃してはいないのです。それは、すぐに目が閉じられてしまったからです。
聖書には書かれてはいませんが、私は後に、本当にパウロは主イエス様と直にお会いしたことを確信しています。
ただしそれは、霊的な体験においてです。
『無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。
私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に(肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。)第三の天にまで引き上げられました。(第Ⅱコリント12:1~12:2)』と書き記しています。
この時、仮死状態になったパウロの霊は、パラダイスにまで引き上げられ、そこでよみがえられた主イエス様とじかにお会いしたに違いありません。》