• 日々のみ言葉 2019年7月18日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年7月18日(木)

    ◎聖書箇所【使徒の働き13章38節~39節】
    13:38「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいて下さい。
    13:39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《パウロは、ピシデヤのアンテオケの会堂における説教において、まずイスラエルの歴史について語り、その歴史の中で預言されていた約束の救い主こそ、主イエス様であることを述べました。
     そして最後の結びにおいて、主イエス様を信じる者に与えられる素晴らしい恵みについて言及しているのです。

     それは「罪の赦し」と「解放される」ことです。

     創造主なる神様は、私たち、人の心の中に「良心」をお与えになられました。その「良心」が、私たちが罪を犯した時に、良心の呵責(かしゃく)と言う形で、私たちの心の中に、鋭い痛みを与えるのです。それが罪を犯した者が経験する心の苦痛なのです。
     しかし、それでもなお罪を犯し続けますと、その「良心」までもが、罪によって麻痺して行きます。やがては、自分の行なった行為を正当化にまでし、罪を認めようとはしなくなってしまいます。

     極悪犯罪人が、無実を主張することを、私たちは何度も耳にしています。あるいは、取り調べに対して黙秘を続けることも、知っています。
     それが人間なのです。人間はそこまで堕落しきっているのです。

     たとえ、犯罪を犯した者が、決定的な証拠もなく無罪放免になったとしても、創造主なる神様はすべてご存じであられ、その者は、神様の「白い御座の裁きの場」に必ず立つことになります。

     それだからこそ、神様は人間に「律法」をお与えになられたのです。「律法」すなわち旧約聖書には、罪とは何であるのかが、明確に書き記されています。
     神様の厳しい基準からいたしますと、誰一人、正しい人(義人)として、神様の御前に立てる者はおりません。

     罪の償いの代価は「死」です。
     人は死んで行きます。それは、その人の罪の結果によって死んで行くのです。それだけではありません。永遠の滅びの中に入れられ、地獄の火の池の中に投げ込まれるのです。裁きはあるのです。

     創造主なる神様によって、人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが定められているからです。神様は、どんな小さな罪であったとしても、決して見逃さない聖いお方であられます。そして罪の償いは「死」です。

    「罪の赦し」とは、神様だけにしか出来ないことなのです。それゆえ、何の罪も犯したことのない神の御子なるイエス様が、身代わりとなって十字架にかかられ死んで下さったのです。私たちが生きる為にです。

     主イエス様が、十字架において、罪を処理して下さったのです。それゆえ、神様は私たちを罰する必要がなくなりました。
     主イエス様を「救い主」として受け入れ、信じる者は、罪が赦され神の子とされます。しかし、主イエス様を受け入れない者、あるいは拒否する者には、その選択によって罰せられることになります。救いの御わざが、すでに完成されてあるのにもかかわらず。
     明日も同じ箇所からです。》

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