◇◆◇日々のみ言葉
2019年7月19日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き13章38節~39節】
13:38「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいて下さい。
13:39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に続いて同じ箇所からとなります。
昨日は「罪の赦し」について考えて見ました。今日は、イエス様を信じる者に与えられる素晴らしいもう一つの恵み、「解放される」ことについて学んで見たいと思います。
実は、新改訳聖書のこの訳は、あまり良い訳とは言えないのです。なぜなら「律法から解放される」と言う言葉が、誤解を招く可能性があるからです。
主イエス様が一番最初に行なわれたミニストリーは、「悪霊からの解放」でした。マルコはそのことを書き記しています。
『それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
イエスは彼をしかって、
「黙れ。この人から出て行け。」
と言われた。すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。(マルコの福音書1:21~1:26)』
つまり「悪霊からの解放」と同じように「律法からの解放」がなされると理解してしまうのです。
尾山令仁先生は、同一箇所をこのように訳されています。
「13:38「ですから、兄弟たち、あなたがたに罪の赦しが宣言されているのは、この方によるのだということを、よく知っておいて下さい。
13:39モーセの律法によって義とされることができなかったあらゆることから、信じる人はだれでも義とされるのです。」(尾山令仁著「使徒たちの働き」下巻より)
つまり「解放される」と言うことは、「義とされる」ことなのです。
使徒パウロはこのように述べています
『律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義とは認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
しかし、今は、律法とは別に、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
ただ、神の恵みによって、イエス・キリストによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。それは、イエス・キリストを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ人への手紙3:19~3:26抜粋)』と。
神様が定められた律法は、依然として有効です。律法がなければ、人間は「罪」が分からないからです。
しかし、律法には救いはありません。救いは唯一、主イエス様を信じる信仰だけなのです。》