• 日々のみ言葉 2019年8月17日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年8月17日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き15章4節】
    15:4 エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らと共にいて行なわれたことを、みなに報告した。

    ◎ショートメッセージ
    《パウロとバルナバとアンテオケ教会の数名の指導者たちは、十数日以上をかけてエルサレムに到着しました。
     この時は紀元49年もしくは50年頃であるとされています。エルサレム教会がどこにあったのかは、詳しいことは聖書には書かれてはいません。
     しかし、一番可能性が高いのは、主イエス様が十二使徒と共にされた最後の晩餐の場所、つまりヨハネ・マルコの二階の大広間ではないのでしょうか。

     エルサレムに到着すると、使徒たちと長老たち、そして多くの主にある兄弟姉妹から迎え入れられたのです。
     この当時、いったい何人の使徒たちが、まだ生き残っていたのでしょうか。もうすでにゼベタイの子ヤコブはいません。また執事のリーダーであったステパノもいません。

     一時、迫害者サウロによって散らされていた人々の中には、再びエルサレムに戻って来た信徒も数多くいたに違いありません。
     この時のパウロ(サウロ)は、ダマスコへの途上において、主イエス様にお会いした後、二度目のエルサレム帰郷となるのです。
     彼に取っては、人生の大半を過ごした第二の故郷とも呼べる町であり、また多くの敵対者が存在する町でもあるのです。
     しかも、かつての仲間であった律法学者とパリサイ人たち。そして迫害者サウロとして、知らなかったにせよ、教会を迫害し、多くの信仰者の家族や友を失った主にある兄弟姉妹たち。
     パウロは両方の陣営から命をなおも狙われていたのです。それだからこそ、パウロは異邦人の使徒となったのです。いや、ならざるを得なかったのです。
     
     さて、「彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らと共にいて行なわれたことを、みなに報告した。」とありますが、この時おもに報告にあたったのはバルナバではないでしょうか。
     なぜならパウロは、最初にエルサレムに戻って来た時には、ペテロと主の兄弟ヤコブとしか顔を合わせていないのです。それゆえ、他の使徒たちや長老たちからは、疑いの目で見られていて、信頼も得ていなかったのです。

     ガラテヤ人への手紙に、
    『先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
    しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒には誰にも会いませんでした。(ガラテヤ人への手紙1:17~21:19)』と書かれている通りです。

     しかし、主イエス様が異邦人になされた御わざの数々を聞いているうちに、その場に聖霊が望まれ、一同は聖霊に満たされたと、私は思うのです。》

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