◇◆◇日々のみ言葉
2019年8月23日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き15章7節~11節】
15:7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めの頃、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようにされたのです。
15:8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
15:9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめて下さったのです。
15:10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
15:11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、シモン・ペテロの答弁について考えて見たいと思います。
ここで、ペテロが言っております趣旨は、人は行ないによって救われるのか、もしくは主イエス様の恵みによって救われるのか、と言うことについてです。
「パリサイ派で信者になった者」たちは、異邦人にも、自分たちと同じくびきをつけ、割礼を強いることを要求して来ました。
しかしペテロは、はっきりと指摘します。
「なぜ、あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。」かと。
律法を誰も守ることは出来ません。しかしそれを守ることが出来たお方は、ただひとり、主イエス様なのです。主イエス様は、その生涯において何一つ罪を犯されませんでした。だからこそ律法を成就されたのです。
そして新しい命令をお与えになられました。
「あなたがたは、互いに愛し合いなさい。」と。
イエス様は十字架にかかられ死んで下さいます。
「完了した。(テテラトライ)」
その時、律法は完全に成就され、律法は廃棄されたのです。
それにも関わらず、かつてパリサイ人や律法学者たちに属していた信者たちは、そのことを主張し続けます。
後のパウロが書簡に書き記していますように、彼らは敵である悪魔が教会に送り込んだ「にせ兄弟」たちなのです。
彼らの働きによって、一時ペテロもヤコブも、またバルナバでさえ、巻き込まれたのです。
しかし今、立ち上がったペテロは、その時のペテロではありません。
「神を試みようとする」とは、申命記に書かれた命令のことです。
『あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。(申命記6:16)』と。
もちろん彼らが熟知しているみ言葉です。ペテロは、彼らの犯している罪を、明確に指し示しているのです。》