• 日々のみ言葉 2019年8月29日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年8月29日(木)

    ◎聖書箇所【使徒の働き15章19節~21節】
    15:19 「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
    15:20 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
    15:21 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。
     実際問題、この時、教会は分裂の危機に瀕していました。この会議の決定いかんによっては、キリスト教がユダヤ教の中の一派に留まるのか、はたまたユダヤ人、異邦人の区別なしに、すべての人に対する「救いのメッセージ」となりうるのか、大きな節目を迎えていたのです。

     聖書には書かれてはおりませんが、この会議が始める前に、十二使徒たちと長老たちは、主イエス様の御心を求める為に篤い祈りを捧げたに違いありません。
     教会会議に対する最も大切なことは、多数決や人間の知恵と判断によって物事を決めるのではなく、主イエス様の御心は何であるのか、聴くものであると言うことです。

     まず「偶像に備えて汚れた物」ですが、パウロは後に、このように説明しています。
    『そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。
     なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
     しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。
     ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。
     その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んで下さったのです。あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。
    ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。(第一コリント8:4~8:13)』と書いています。

     ここでパウロは、「偶像に供えて汚れた物」とは、「偶像に捧げられた肉」であることを明確にしています。つまり供え物のおこぼれを頂戴することなのです。

     主イエス様の救いを知った者ならば、偶像に捧げられた肉を食することなど、まずあり得ないことですし、クリスチャンはそんなことはしません。

     ヤコブが、最初にこのことを持ち出したことは、異邦人世界において、そのようなことが多くまかり通っていたからではないでしょうか。
     明日も、また同じ箇所からとなります。》

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