• 日々のみ言葉 2019年10月21日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年10月21日(月)

    ◎聖書箇所【使徒の働き17章3節~4節】
    17:3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。
    17:4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。また他に、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。

    ◎ショートメッセージ
    《パウロ一行がアンテオケに来てから、最初の安息日を迎えました。伝道旅行の時には、パウロはいつものようにユダヤ人の会堂にはいって行き、礼拝において良く読まれているメシヤ預言から、勧めをし、また聖書に基づいて、そこに集まっていた人々と論じたのです。何とこれを三週間連続して、安息日に行なったと言うのです。

     そして、「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならない。」ことを説明したのです。また「論証した」とは、「説教した」と同じ言葉が使われています。
     このことが出来たのは、パウロが旧約聖書に深く通じていたからこそであり、おそらく「イザヤ書53章」から引用したと思われます。

    『私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
     彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
     しかし、彼は、私たちのそむきの罪の為に刺し通され、私たちの咎の為に砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
     私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
     しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪の為に打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
     彼の墓は悪者どもと共に設けられ、彼は富む者と共に葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
     しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみ心であった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主の心は彼によって成し遂げられる。
     彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。私の正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
    それゆえ、私は、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちと共に数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちの為にとりなしをする。(イザヤ53:1~53:12)』
     そしてパウロは、
    「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と証したのです。

     明日も同じ箇所からさらに深く考えて見ましょう。》

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