• 2019年10月20日礼拝メッセージの概要

    めぐみイエス・キリスト教会礼拝メッセージ(第477回)
    ◇◆◇2019年10月20日第三主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書19章38節~42節】 (新約p.203上段左則)
    19:38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスの体を取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスの体を取り降ろした。
    19:39 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
    19:40 そこで、彼らはイエスの体を取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
    19:41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
    19:42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

    ◎メッセージの概要【アリマタヤのヨセフとニコデモ】
    《今日は、主イエス様の埋葬の場面です。ここに登場します「アリマタヤのヨセフ」については、三つの共観福音書のすべてに書き記されています。しかしニコデモのことは、ヨハネの福音書だけです。ここにも使徒ヨハネが「第四福音書」を執筆しなければならなかった理由が計り知れると言うものです。
     それでは、まずアリマタヤのヨセフについて考えて見ましょう。
     マタイの福音書によりますと、この場面には彼はいませんから、よってマルコの福音書を基にして書き記したことは明白です。しかし、ここにしか書かれていないこともあります。それは彼が「金持ち」であったことです。
    『夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。』と。
     また、ルカによりますと、
    『ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。』と書かれています。
     アリマタヤとは、「高い所」を意味するヘブル語の複数形「ラーマータイム」に定冠詞がついた語形をギリシヤ語に音訳した地名です。預言者サムエルの故郷(ラマ)であって、エフライム山地の西部ルダの東北東約15キロの所にありました。
     そしてマルコは、
    『すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスの体の下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
     ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスの体をヨセフに与えた。』と、とても大切なことを書いています。
     この時ペテロはヨハネと共にその場に残り、一部始終を見ていたことは間違いありません。
     ピラトは、百人隊長マンリウスを呼び出し、イエス様がすでに死んでしまったかを確認します。それゆえ、ローマ兵によって、イエス様は槍を突き刺されることになったのです。
     本来、罪人の処刑が行なわれたら、野ざらしにするか、はたまた共同墓地に葬るかのどちらかでした。パリサイ人や律法学者たち、祭司長や祭司たちは、過越の祭が始まる前に死体を片付けたいと願っていましたから、間違いなく共同墓地に葬る手はずを整えていたと思われます。
     そこへ有力な議員であるアリマタヤのヨセフとニコデモがやって来ます。当然ピラトによる埋葬許可書を持っています。
     ヨハネによりますと、『前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。』となっています。」
     イエス様は、アリマタヤのヨセフが購入した「園の墓」に葬られるのです。当時園の墓に葬られることが許可されたのは「王」だけなのです。しかもヨセフは亜麻布を、ニコデモは没薬と香料を持って来ます。これは「犯罪人」ではなく、真に「王」として葬られることを
    意味します。「ユダヤ人の王ナザレのイエス」
     イエス様を十字架から取り降ろしたのは、アリマタヤのヨセフと彼の数人の部下たちです。そこへニコデモが加わってきます。
     さてニコデモも議会議員であって、以前エルサレムにおいて、真夜中に訪ねて来ました。
    『パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」』この後、ニコデモは主を信じる者となって行くのです。
     その証しとして最高議会において、イエス様をかばった発言をしました。
    『彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。
    「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」』
     彼らは二人とも、ユダヤ人たちの指導者であって、しかも最高議会の議員であったのです。要するに、この世において、イスラエルにおいて、エルサレムにおいて、最も成功した人たちの部類に入る者たちなのです。
     この二人は、議会において、そしてパリサイ人や律法学者たちの中において、イエス様の隠れ弟子でいましたが、ついにこの時、自分たちの信仰を公にします。
     それは名誉も地位もまた富もすべて捨てることを意味しています。そして彼らの手によってイエス様は、アリマタヤのヨセフの新しい園の墓に運ばれ葬られるのです。
     この意味することは何でしょうか。それは、神様は私たちの手を借りて、神の御わざを成されると言うことです。父なる神様にとって、この時、天使を遣わして御子のからだを運び去ることを命じることはいとも容易いことでした。しかしあえてそれを成さず、二人の信徒に委ねたのです。十二使徒でもなく、またガリラヤから主イエス様に付いて来た女たちではなく、アリマタヤのヨセフとニコデモの二人です。
     このことも主の選びであり、また恵みなのです。私は確信します。アリマタヤのヨセフは、決して日本のキリシタンのような潜伏弟子ではないことを。本当に弟子になっていたのです。それを知らなかったのは、最高議会とパリサイ人たちであって、十二使徒は知っていたのです。彼は、何度も主イエス様のみ言葉を聴き、また使徒たちとも面識があったのです。
     聖所には書かれていませんが、私は確信します。主イエス様は三日目によみがえられた後、彼らにも復活されたご自身を現わされたことをです。
     私たちも自分の立場を、自分の国の旗印を高く揚げなければならない時が来ます。隠れるのではなく、明確にすべき時がやって来ます。
     福音は恥ではありません。クリスチャンであることは恥ではありません。大いなる特権であり、また大いなる恵みと哀れみの中に守られ、生かされていると言う何と奇跡の連続であることなのでしょうか。》

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