◇◆◇日々のみ言葉
2019年10月20日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き17章1節~2節】
17:1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
パウロとシラス、そしてテモテと医者ルカの4人は、ピリピを後にし、マケドニヤの首都テサロニケにやって来ました。
テサロニケには、ローマ、アテネに次ぐ大都市でありましたから、ユダヤ植民地も多数あり、ユダヤ人の会堂も建設されていました。普通ユダヤ人の大人の男性が10人集まりますと、会堂を建てることが出来たと言われています。
さてイエス様は、最初のミニストリーをユダヤ人の会堂において始められました。
マルコの福音書によりますと、
『それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。(マルコの福音書1:21~1:22)』と書かれています。
よって使徒パウロもそれに倣って、安息日に、まずはユダヤ人の会堂に出向いて、そこに在住していますユダヤ人たちへ伝道を試みたと言うわけです。
パウロとシラスは二人とも「ローマ市民」であり、伝道の対象は異邦人(ギリシャ人とローマ人)であったわけですが、同胞のユダヤ人の救いをも、心から願っていました。
主イエス様は、恵みと哀れみによって、ローマ軍イタリア隊百人隊長コルネリオのように、各地に密かにユダヤ教を信じる者、もしくは改宗者を用意されていましたから、彼らとの出会いをも期待し、会堂に出向いたわけです。
またユダヤ人であるならば、聖都エルサレム最高のラビであるガマリエルのことは、誰もが知っていましたし、その弟子であったサウロは、それさえも利用しようと考えたのかも知れません。なぜなら彼の願いは、同胞ユダヤ人が一人でも救われることであったからです。
後にパウロは、このように書簡に証しています。
『私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得する為に、すべての人の奴隷となりました。
ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得する為です。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得する為です。
律法を持たない人々に対しては、私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得する為です。
弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得する為です。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救う為です。(第Ⅰコリント9:19~9:22)』
この言葉は、私たち日本人信徒にも当てはまるのではないでしょうか。日本人が一人でも救われたらと、願わずにはいられないからです。》