◇◆◇2020年1月12日 第二主日礼拝
◎本日の聖書箇所【第Ⅰテサロニケ5章16節~18節】 (新約p.367下段真中)
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
◎メッセージの概要【2020年標題聖句そのⅡ(17節)】
《さて、先週は5章16節『いつも喜んでいなさい。』について、共に考えて見ました。今日は、2020年教会標題聖句のパートⅡで、17節の「絶えず祈りなさい。」について学んで行きましょう。
主イエス様は良く祈られました。マルコは、そのことを書き記しています。朝早く、そして夕方にも、一人で寂しい所や山に行かれて祈られました。
祈りとは何でしょうか。祈りとは、創造主なる神様との交わりを指します。イエス様は、一人退ぞかれて、父なる神様と話し合われたのです。一方通行ではなく、互いに意見と思いを分かち合われたのです。これこそが本当の祈りです。私たちもそうすべきなのです。
私たちは、この祈りの形を創世記におけるアダムとエバと神様との関係の中に見ることが出来ます。
『そよ風の吹く頃、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。」』
この場面は、ふたりが「善悪の知識の木」の実を食べてしまった時のことです。彼らが罪を犯すまでは、神様と麗しい関係であったことが分かります。神様は、人格と人格との交わりをする為に、私たち人間を造られたのです。これが本来の祈りであるのです。
さて、「祈り」には三つのパターンがあります。一つは、「願い事の祈り」です。それは、父なる神様にお願いすることです。主イエス様は、弟子たちにこう教えられました。
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。」
そして二つ目は、他者の為の「取りなしの祈り」です。
「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせて下さいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
そしてもう一つは、賛美と感謝の祈りです。
『ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名を讃えるくちびるの果実を、神に絶えず捧げようではありませんか。』
言葉数が多ければ、聞かれるのではなく、神様を褒め讃える祈りこそが、主の臨在を呼び起こし、また祈り続けることが出来る秘訣なのです。
最後に「絶えず祈りなさい」と言うことはどのようなことでしょうか。私たちは生身の体を持っています。よって食事し睡眠を取らなければなりません。また仕事をしている人は、仕事に集中しなければなりません。コンビニエンスストアのように24時間祈り続けることは、実質不可能です。
パウロが言います真意は、「目を覚ましていなさい」と言うことなのです。何時でも主の御声を聞くことが出来る様、主の御思いをキャッチ出来る様、目を覚ましていることこそが、「絶えず祈る」ことなのです。》