• 2020年2月2日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年2月2日 第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章12節~14節】 (新約p.229上段右側)
    21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
    21:13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
    21:14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。

    ◎メッセージの概要【朝の食事】
    《ヨハネは、『イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現わされたのは、これですでに三度目である。』と証しています。
     一回目は、マルコの福音書に書かれています。
    『その後イエスは、十一人が食卓に着いている所に現れ、彼らの不信仰と頑なな心をお責めになった。よみがえられたイエスを見た人たちの言うことを、彼らが信じなかったからである。』
     この時は、食事の席でありました。
     そして二回目は、ヨハネが詳しく書き記しています。
    『八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。それから、トマスに言われた。
    「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
    トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」イエスは彼に言われた。
    「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」』と。 この時も食事の席であったと私は信じています。それは、ヨハネの黙示録にこう書かれているからです。
    『見よ、私は戸の外に立ってたたいている。だれでも、私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその人の所に入って彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。』と。
     食事の時こそは、交わりの時であり、また楽しいひと時であるからです。コイノニアとは「交わり」を意味します。
     ガリラヤ湖畔において、主は十一弟子たちを、朝の食事の交わりの席に招待されたのです。それでは、なぜこの朝の食事のひと時が大切なのでしょうか。
     イエス様は、弟子たちの要望に応えて「主の祈り」を教えられたことがあります。
    『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。 御国が来ますように。み心が天で行われるように、地でも行われますように。 私たちの日ごとの糧を、今日もお与え下さい。』
     ここで、「私たちの日ごとの糧を~」と祈るように言われています。一週間分ではありません。一ヶ月分でもありません。ましてや一年分でもないのです。日ごとの糧なのです。
     私たちは肉体を持っています。それゆえお腹は空きますし、喉も渇きます。食べ物も水も、私たちが生きて行くには、また体を維持して行くには、無くてはならないものなのです。
     しかし、決してそれだけではありません。イエス様は、荒野において悪魔の試みを受けられた時に、み言葉によってこう言われました。
    「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」と。
     つまり、霊的存在である私たちの霊も「日々の糧」が必要なのです。それは主イエス様のご臨在の中に、いのちのみ言葉として与えられるものです。
     この時、十一弟子たちは、肉の糧と同時に霊の糧をもいただいたのです。なぜなら、主イエス様が共におられたからです。
     毎朝ごとの主との交わり、すなわちデボーションは必要です。肉体的に、そして霊的に「朝の食事」を取ることは、その日の一日を主の証し人として、力強く生き抜く為には、非常に重要なことなのです。》

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