• 日々のみ言葉 2020年2月6日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年2月6日(木)

    ◎聖書箇所【使徒の働き20章33節~34節】
    20:33 「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
    20:34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、パウロの「惜別のメッセージ」から学んでいます。
     このメッセージは、まさに素晴らしいの一言と言えます。エルサレムのユダヤ教の指導者たち、すなわちパリサイ人や律法学者たちは、宗教を生活の糧とはしませんでした。
     皆、一般の人と同じように職業を持っていたのです。
     最も、サンヘドリン議員や、ラビと呼ばれた人物たちは、手に職業を持っていたとしても、仕事の為に使う時間は限られていましたから、それなりに、この世的には成功した人物であって、時間とお金とに余裕がなければ務まらなかったとも言えるでしょう。

     またイスラエルの人々は、自分たちの子どもたちが、将来、生活に困ることの無い様に、手に職業をつけさせました。最も、本来は世襲制ですから、親の職業を継ぐことが多かったのです。
     だからこそ、イエス様の育ての父ヨセフは、長子イエス様に大工の仕事を厳しく教え込んで、一人前の大工としたのです。
     ヨセフが、比較的早く召された後、イエス様は一家の大黒柱として、母マリヤと妹たちを養い、また四人の弟たちには、大工仕事をしっかりと教え込んだのです。30才になって、人々からラビと呼ばれる資格を持つまでは。

     パウロの職業は「天幕作り」でした。両親も同じ職業であって、我が子サウロにその技術を教え込んでいたと思われます。

     またサウロは生まれながらのローマ市民でした。よって両親もローマ市民であったことが分かります。そしてタルソと言う世界三大学問都市の一つを故郷としていたのです。
     イエス様と奇跡的な出会いをした後、パウロは故郷タルソに戻って、旧約聖書研究と「天幕作り」の仕事に没頭します。
     
     さてパウロはコリントにおいて、アクラとプリスキラ夫婦に出会います。彼らは同業者でした。そして彼らと共にエペソに向かいます。
     第三回伝道旅行においてエペソに戻って来た後、三年にわたり、アクラとプリスキラ夫婦と共に天幕作りをしながら、エペソの伝道を続けて来たのです。
     天幕作りをして得たお金は、パウロとその一行の生活を支え、そして三年間に渡って、「ツラノの講堂」を借りた家賃となったのではないでしょうか。

     それだからこそ、このように明確に宣言することが出来るのです。
    「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私と共にいる人たちのためにも、働いて来ました。」と。》

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