◇◆◇日々のみ言葉
2020年2月25日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き21章20節~21節】
21:20 彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。
21:21 ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。
まず、主イエス様は、何をなされる為に来られたのでしょうか。それは旧約聖書に書かれているシナイ契約を成就する為に来られました。
イエス様はこのように教えられました。
『「私が来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」(マタイの福音書5:17~5:18)』
だれひとり、律法のすべてを守った者はおりません。いや、守ることの出来た者は誰も存在しないのです。
しかし神の御子であられる主イエス様は違います。イエス様は、その生涯において何一つ罪を犯さず、律法を守りそして成就して下さったのです。律法を完了されました。
またこのようにも教えられました。
『「先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか。」
「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが大切な第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイの福音書22:36~22:40抜粋)』
もちろんユダヤ人であるならば、律法を守って行く義務があるかも知れません。しかしイエス様は、それを成就し終わらせたのです。
それにも関わらず、未だに主イエス様の教えの中に律法を持ち出す者たちがいるのです。しかもこれは、今から二千年前に、エルサレムで起こったことではありません。
今、現在の教会においても「律法主義」がまかり通っています。「恵み」のみなのです。すべてが恵みなのです。
私たちは「恵み」によって救われ、「恵み」によって生かされています。そして礼拝に出席することは義務ではなく、真の神様を心から褒め讃えることが出来る権利なのです。
また献金することも義務ではなく、喜んで感謝の気持ちを表わす為に成されるものなのです。》