• 日々のみ言葉 2020年3月24日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年3月24日(火)

    ◎聖書箇所【使徒の働き23章6節~8節】
    23:6 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
    23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。
    23:8 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、使徒パウロによります「ユダヤ議会」での弁明からとなります。昨日までは「大祭司アナニヤ」のことについて考えて見ましたが、今日からは先に行きます。

     さて、ユダヤ最高議会は、祭司長たち、民の長老たち、そして律法学者たちによって構成されていました。
    「パリサイ人」とは、パリサイ派に属する人々で、律法学者の中では、もっとも厳格にミシュナ(ユダヤ人の昔の言い伝え)を守る派でありました。
     そして「サドカイ人」とは、サドカイ派に属する人々で、おもに祭司長や祭司たちのことでした。
     この二つの派には、大きな違いがあったのです。

     それは、ルカがここで書き記していますように、パリサイ派の人々は死者の復活、そして霊の存在と御使いの存在を信じており、サドカイ派はその反対で、死者の復活、そして霊の存在と御使いの存在を否定していたと言うのです。

     これは本当に摩訶不思議なことです。真の神様の宮に仕える祭司や祭司長たちが、聖書に書かれている「死者の復活」や、御使い(天使)の存在や、人が霊的な存在であることを信じていないと言うのです。

     信じる派と信じない派では、当然なように衝突が起こって来ます。またパリサイ派の人々には、決して譲れない教理であり、またサドカイ派の人々に取っても、避けては通れない教理であったわけです。

     以前パウロは、パリサイ派に属する律法学者の一人でした。しかも、当時のユダヤ社会において、最も尊敬されていたラビの中のラビ(ラバン)であった、ガマリエルの第一弟子でもあったわけです。

    「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」

     パウロの言動により、議会は真っ二つに割れてしまいます。しかしパウロの狙いは、議会を分けるのではなく、あくまで議員たちに、真の神様であられる主イエス様のことを伝えることが目的であって、恵みと哀れみによって、自分が見いだした真理を伝えたかったことです。

     このように、主イエス様の御名に対しては、人々は二つの異なる反応を示すのです。すなわち、この方を受け入れるか拒むか、そして信じるか信じないかのどちらかなのです。》

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