◇◆◇日々のみ言葉
2020年4月3日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き23章31節~32節】
23:31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、
23:32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
◎ショートメッセージ
《「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。」
エルサレム駐屯部隊の指揮官であり千人隊長であったクラウデオ・ルシヤは、二人の部下に命じたのです。
また、パウロの乗る馬の用意もさせました。当時、馬はローマ軍だけが用いることが許されていました。よってユダヤ人たちは、ロバに乗って移動したのです。
そこで兵士たちは、命じられたようにパウロを牢獄から出し、夜中にアンテパトリスまで連れて行ったのです。
この町は、シャロン平野を流れるヤルコン川の源流に近くにありました。ヘロデ大王はこの地を再興し、父アンティパテルの名にちなんで、アンテパトリスと町の名をつけたのです。エルサレムの北西約55キロの地点にありました。
何と夜中にエルサレムを出発した部隊は、ローマ軍の軍用道路を55キロも移動したと言うことになります。
さらにカイザリヤへ行くには、この軍用道路を45キロほど北上しなければなりません。ここからも、いかに馬による移動が早いことが分かります。また、ローマの道があればこそ、この早い移動は可能なのです。
アンテパトリスまでパウロを護衛して来た、ローマ軍「歩兵二百人」と「槍兵二百人」は、パウロを騎兵隊に任せて、エルサレムに戻って行きました。
そこからは騎兵七十人がパウロを護衛してカイザリヤに向かったのです。パウロも馬をあてがわれましたから、彼も馬に乗る技術を持っていたことが分かります。
しかし、このことが、本当にユダヤ人たちのだれにも悟られずに行なわれたのでしょうか。考えても見て下さい。兵の数は、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人なのです。しかも馬が騎兵隊の乗る70頭とパウロの乗る1頭の合計71頭がエルサレム市内から、夜中は閉められている門を通って、外に出て行くのです。
どう考えてみましても、誰にも分からないように、エルサレム市内からの脱出は不可能なことではないでしょうか。
特に、パウロを待ち伏せしていたはずの四十人のユダヤ人たちは、どうしたのでしょうか。また彼らは何を思ったのでしょうか。興味津々ではないでしょうか。》