• 2020年4月5日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年4月5日 第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書19章28節~44節】 (新約p.158下段左側)
    19:28 これらのことを話してから、イエスはさらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。
    19:29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニアに近づいたとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
    19:30 「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、連れて来なさい。
    19:31 もし『どうして、ほどくのか』とだれかが尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
    19:32 使いに出された二人が行って見ると、イエスが言われたとおりであった。
    19:33 彼らが子ろばをほどいていると、持ち主たちが、「どうして、子ろばをほどくのか」と彼らに言った。
    19:34 弟子たちは、「主がお入り用なのです」と言った。
    19:35 二人はその子ろばをイエスのもとに連れて来た。そして、その上に自分たちの上着を掛けて、イエスをお乗せした。
    19:36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
    19:37 イエスがいよいよオリーブ山の下りにさしかかると、大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、
    19:38 こう言った。「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。」
    19:39 するとパリサイ人のうちの何人かが、群衆の中からイエスに向かって、「先生、あなたの弟子たちを叱ってください」と言った。
    19:40 イエスは答えられた。「私は、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
    19:41 エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。
    19:42 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。
    19:43 やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、
    19:44 そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」

    ◎メッセージの概要【神の訪れの時】
    《さて、イエス様が子ロバに乗って、エルサレムに入場する場面は、すべての福音書に書き記されています。今日は、ルカの福音書から学びたいと思います。
     ヨハネは、主イエス様と弟子たちの一行は、「過越の祭」の始まる6日前に、ベタニヤのマルタとマリヤ姉妹と弟ラザロの家にやって来たことを書き記しています。
     しかし、三つの共観福音書では、ベタニヤからではなく、都上りをしながらエリコを通り、オリーブ山の麓に行かれた所から始めています。イエス様は、ペテパゲに二人の弟子を遣わされました。マタイは、子ロバと一緒に母ロバの雌ロバも連れて来たことを書いています。 4つの福音書からまとめて見ますと、イエス様と弟子たち一行は、ベタニヤのマルタとマリアとラザロの家を出た後、ペテパゲまでやって来て、そこにいた子ロバと母ロバを調達したことになります。それからイエス様を乗せた子ロバが通る道の前に、ユダヤの人々が、上着を敷いたのです。これは最高の敬意を表わす行為です。
     そして人々は、叫びます。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
     この時から五日後の朝には、同じ人々が今度は「十字架につけろ、十字架につけろ。」と叫ぶのです。人間の心理とは、いかに周りに影響されやすいものかが良くわかります。
     さて、子ロバに乗ったイエス様はエルサレムに近づいてきました。ルカは、その時、主イエス様が涙を流され、語られたことを書き記しています。
    『エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。
    「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら。しかし今、それはおまえの目から隠されている。やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、他の石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」』と。
     この時、ユダヤの人々は入場するのが「ナザレのイエス」であることを知っていました。この3年半における公生涯において、主は多くの奇跡としるしを行なわれたのです。しかもエルサレムの「過ぎ越しの祭」に来られるのは、メシヤとしては4度目に当たります。
     この時イエス様は、明確に「神の訪れ」と告白されたのです。これは、ご自身が「神」であられることを明らかにされたのです。
     ところで、なぜマルコとマタイは書き記さなかったのでしょうか。私は、行列の先頭をリードしていたのはペテロであったと思われます。またマタイ(レビ)も、この時にはイエス様のそば近くではなく、もしかしたらしんがりを務めていたのかも知れません。
     マルコは、ペテロのメッセージをまとめて福音書にしましたから、ペテロ自身が聞いていないことを書くことは出来なかったと言う推測が成り立ちます。もちろんルカは、その場にいるはずもありませんから、使徒の誰かが、ルカとパウロに教えたことは間違いありません。私は、主が愛された弟子ヨハネが、記憶していたと考えるのが一番妥当だと思います。
     イエス様のこの預言が成就するのは、この時から40数年先の未来となります。十字架は、紀元27年頃であったと言う説が有力です。エルサレムが滅びるのは紀元70年のことです。エルサレム市内に入場されたイエス様は、弟子たちにさらに詳しい預言を与えられます。
    『「あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。都の中にいる人たちはそこから出て行きなさい。田舎にいる人たちは都に入ってはいけません。書かれていることがすべて成就する、報復の日々だからです。」』
     この主の言葉があったからこそ、エルサレムが滅びる直前に、エルサレム市内のキリスト者は、ヤコブの指導の下に脱出することが出来たのです。この時、ペテロはすでに殉教していました。おそらくエルサレム市内に留まっていたのは、ヨハネだけであったと思われます。
     主はエルサレムを見て、涙を流して言われました。
    「神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」
     神様が人となったお方、主イエス・キリスト。この方は、今から二千年ほど前に、メシアとして来られました。
     今、現在の日本の多くの人々が、生きておられる真の神様を知りません。それは、彼らが「神の訪れの時」を知らないからです。今日は、シュロの日曜日です。この時、聖都エルサレムに、創造主なるお方が入場されました。その五日後に十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられる為に。》

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