◇◆◇日々のみ言葉
2020年4月9日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き24章10節~13節】
24:10 そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。
24:11 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。
24:12 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。
24:13 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。」
◎ショートメッセージ
《エルサレムから、大祭司アナニヤとその部下の長老たち、そしてユダヤ人でありながらローマ市民の弁護士テルトロが、パウロを訴える為に、カイザリヤにやって来ました。
まず、最初にテルトロが訴状を行ないます。そして、それが一段落すると、ユダヤのローマ総督ペリクスが、パウロに弁明を許可しました。
ペリクスは、紀元52年から59年まで、ユダヤの総督でした。彼は、クラウディウス帝の母の解放奴隷であったと言われています。彼の兄パッラスも解放奴隷でしたが、クラウディウス帝の重鎮で、大きな力を持っていました。
その影響力もあり、また解放奴隷を地方長官に任命すると言う、クラウディウス帝の独自の政策によって、ペリクスはユダヤの総督になったのです。
総督としてのペリクスは、武力に頼み、ローマ軍による弾圧によって、ローマ植民地の中でも特に難しいとされた、ユダヤの治安維持をはかろうとしました。
しかし、過激な反ローマ主義者シカリ党の徹底的な反抗にあい、その統治は、決して安定したものではなかったようです。
カイザリヤで大きな混乱が生じた時に、多くのユダヤ人を殺害しました。その強圧的な統治のため、ユダヤ人の代表たちがローマへ趣き、皇帝ネロに直訴したのです。
兄パッラスの介入によって、ペリクスは処罰を免れましたが、ネロはペリクスに代えて、フェストをユダヤの総督としました。このことは使徒の働きにも記載されています。
ペリクスの統治は、奴隷根性で権力を行使したものと酷評されています。なぜなら、奴隷では指導者になることが出来ないからです。
イスラエルを出エジプトに導いたモーセは、ヘブル人でありましたが、奴隷の子としてではなく、エジプト王女の子として育てられました。だからこそ、イスラエルの民をエジプトから脱出させる指導者になれたのです。
使徒の働き24章22節には、
『しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていた』と書き記されていますように、ペリクスは、統治するユダヤ人の宗教に対して、それなりの関心を持っていました。
また、「ナザレ人の一派」と言われ、主イエスを信じる者たちについても、綿密に調べ上げ、かなり詳しい知識を持っていたことは、驚くべきことです。
ペリクスは、3人の婦人を妻としました。特に3番目の妻ドルシラは、ヘロデ・アグリッパ1世の3人娘の一人で、16歳でエメサの領主アジザスと結婚しましたが、策略によって夫と別れさせられ、その後ペリクスと結婚させられたと言う史実が残されています。
明日も同じ箇所からです。「パウロの弁明」の内容から考えて見ることにします。》