• 日々のみ言葉 2020年4月11日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年4月11日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き24章14節~16節】
    24:14「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
    24:15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
    24:16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」

    ◎ショートメッセージ
    《「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。
     お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。
     そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。」

     この続きが今日の箇所となります。
    「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。」

     ここでパウロは、キリスト教のことを「この道」と呼んでいます。これは、使徒の働きにおいては、6回出て来ます。
     ラビ文学では、「この道」とは、慣習もしくは生活の様式の意味に用いられています。 尾山令仁師によれば、この言葉が最初にユダヤ教の側から使われた時、キリスト教はユダヤ教から言えば、理論の問題よりも実践において異なったことを主張する異端であると考えられていたことが分かります。
     しかしパウロ本人にすれば、「この道」こそが、「先祖の神に仕え、律法の教えることと、預言者たちの書に書かれていることとをすべて信じること」であり、また「義人も悪人も必ず復活するという、ユダヤ人たちも抱いている望みを、神様にあって抱いていること」の、正統的な派なのだと言っているのです。

    「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」

     この告白も真実です。大切なことは、神様の御前に立つ姿勢なのです。人の前に立つ時には、ごまかし隠し通すことができたとしても、神様の御前においては、すべてが明らかにされているからです。

     私たちはどうでしょうか。いつも人の目ばかりを気にしていませんか。大切なことは、神様の御前に立つ自分の姿なのです。》

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