• 日々のみ言葉 2020年4月21日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年4月21日(火)

    ◎聖書箇所【使徒の働き25章7節】
    25:7 パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。

    ◎ショートメッセージ
    《ボルキオ・フェストはローマ総督として、ユダヤ州首都カイザリヤに着任しますと、三日後にエルサレムに行きました。
     すると、祭司長たちとユダヤ人の民の長老たちが、総督の在住しているアントニヤ要塞にやって来たのです。
     彼らは、パウロのことを訴え出て、パウロを取り調べるために、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願したのです。これは根っからの偽りであって、彼らはパウロを途中で殺害するために、兵を待ち伏せさせていたのです。
     ところが、フェストは、
    「パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定である。だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私と一緒に下って行って、彼を告訴せよ。」と言ったのです。
     フェストは、ローマ暦では八日間、そしてユダヤ暦では十日ばかり、エルサレムに滞在しただけで、カイザリヤへ戻って行きました。おそらくその数日前に、ユダヤ議会の議員がカイザリヤに向かったかと思われます。
     翌日、フェストは裁判の席に着いて、パウロに出廷を命じたのです。

     そしてパウロが法廷に出頭しますと、ユダヤ人たちは立ち上がり、パウロの周りを取り囲んで、多くの重い罪状を申し立てました。
     彼らは何としてもパウロを死罪にしようと、エルサレムを出発した時から、様々な罪状を思いつき、証人を装おったのですが、その確固たる証拠を提出することが出来なかったのです。ここにも主イエス様の絶大なる守りと、異邦人の使徒への明確な選びが見えて来ます。

     パウロにはまだ時間が少しですが残されていました。なぜなら彼は、必ずローマに行くことになるからです。すでにそのことは御霊によって示されていました。

     パウロがローマで殉教するのは、紀元65年から68年にかけてのことです。この時は紀元59年ですので、六年もしくは九年先となります。
     パウロはこのフェストの裁判において、ローマ皇帝ネロに直訴することになります。》

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