• 日々のみ言葉 2020年4月22日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年4月22日(水)

    ◎聖書箇所【使徒の働き25章8節~9節】
    25:8 しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」と言った。
    25:9 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねた。

    ◎ショートメッセージ
    《新しいローマ総督フェストはカイザリヤに戻ってくると、翌日、裁判の席に着いて、パウロに出廷を命じました。
     パウロが出て来ると、エルサレムから下って来た祭司長たちと民の長老たちは、立ち上がってパウロを取り囲み、考えられる限りの多くの罪状を申し立てたのです。
     しかし、フェストの前にそれを証拠立てることはできませんでした。なぜなら、それはローマ帝国に対する反逆ではなく、ユダヤ人の宗教問題、おもに律法に関することであったからです。

     それゆえ、
    「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」とパウロは、彼らが挙げた罪状のすべてを否定したのです。

    「宮」とは、エルサレムの神殿のことです。そして彼は、ユダヤ人であると同時に生まれながらのローマ市民なのです。
     ローマ市民たる者が、なぜその名の保護の下にあるカイザルに対して罪をおかす必要があると言うのでしょう。ただし、キリスト教を背教せよと言うことになれば別ですが。

     かつて日本の安土桃山時代において、イエズス会やフランシス会に所属していた日本のキリシタンは、まさにその問題を突きつけられ、多くのキリシタンが殉教して行きました。しかもそれは徳川幕府の時代にも続き、さらに明治維新後の新政府においても続けられたのです。

     さて、フェストはパウロにこのように言います。
    「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」

     この質問は、「フェストはユダヤ人の歓心を買おうとした」のであると、ルカは注釈しています。フェストにして見れば、何とかしてエルサレムの有力者たちを味方につけたい、と言う思惑があったようです。

     実際に、ボルキオ・フェストは総督在任中に、ユダヤ州の治安維持については、大いなる業績を挙げました。多くの問題を次々と解決して行ったことが伝えられています。 しかし彼は、赴任してから二年後に惜しくも若死にしてしまうのです。死因は分かりません。
     もしフェストが生きていたなら、悪名高き皇帝ネロも、反キリスト側にはつかなかったかも知れません。ローマ帝国は優秀な人物を失うことになります。
     そして、その後、いよいよ反乱に向けて熱心党が動き出します。紀元70年のエルサレム滅亡に向けて、歴史が進んで行くのです。》

Comments are closed.