◇◆◇日々のみ言葉
2020年4月24日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き25章10節~12節】
25:10 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
25:11 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」
25:12 そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
総督フェストは、ローマ人の陪審員たちと協議したうえで、パウロにこう言いました。
「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」と。
これは、ローマ市民として、ローマ皇帝の裁きを受けなさい、と言うことです。
ところで、この時、すなわち紀元59年のカイザルとは誰でしょうか。何とローマ史上もっとも悪名高きネロなのです。
ネロは、紀元37年12月15日、ローマの古い貴族の家系ドミティウス家のグナイウスの子として誕生します。母のアグリッピナは、アウグストゥス帝の曾孫に当ります。
紀元49年母アグリッピナがクラウディウスと再婚し、ネロはクラウディウスの息子となります。
野心に満ちた母アグリッピナは、クラウディウスの実子ブリタニクスを抑え、ネロをローマ皇帝にするため、紀元51年にネロの元服式を行ないます。
そして、ローマ元老院から「青年の第一人者」との称号をもらい、翌年、オクタヴィアとの結婚式をとり行なうのです。
時期皇帝をめぐって、宮廷内の激しい権力闘争のさ中、アグリッピナは夫クラウディウス暗殺し、紀元54年にネロを17歳でカイザルに即位させるのです。
ネロの最初の5年間は、後に「最善の時代」とトラヤヌス帝に呼ばれたように、解放奴隷の宮廷内での勢力を抑え、元老院の権限の回復を目指すなど、家庭教師であったセネカ、近衛長官ブルスなどの協力を得て、「寛容」と「仁愛」をモットーとした政治を行ないました。このようなネロの政治は、元老院を初め、軍隊、民衆、ローマ市民、イタリヤ、さらには属州に至るまで、好意的に迎えられ賞賛されたのです。
パウロがカイザルに直訴した時、紀元59年には、ネロはまだ「名君」とも言われていたことになります。その時、パウロは54歳、そしてネロは22歳でした。まさに親子ほどに年齢が違うわけです。
この後、パウロはローマに行き、牢獄生活を送り、ネロの裁判を待ちます。そして無罪放免され、第三次伝道旅行に出かけることになります。
しかし、その後ネロの政治は一変します。宮殿内においても、またローマ市内においても、多くの血なまぐさい虐殺が行なわれることになるのです。恐怖政治の始まりです。
しかし、紀元68年、ついに元老院や近衛軍隊に見捨てられ、ネロは自ら命を絶ちます。ローマ皇帝在位は13年と8か月、30歳6か月の生涯を閉じることになるのです。
パウロは、ネロによるキリスト教迫害の時代、紀元65年から68年、ネロが自決する前に、斬首によって殉教するのです。》