◇◆◇日々のみ言葉
2020年4月25日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き25章13節】
25:13 数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。
◎ショートメッセージ
《カイザリヤにおける裁判において、ローマ総督フェストはパウロに質問します。
「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」
すると、パウロはこう答えます。
「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」
フェストは陪審員たちと協議したうえで、こう答えます。
「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
そこで裁判は打ち切られます。エルサレムから訴訟にやって来た祭司長たちと民の長老たちは、引き下がらずにはいられませんでした。彼らのパウロに対する怒りは、もはや最高潮に達していたと思われます。
「数日たって」とは、フェストはあえてパウロの安全を考慮して、すぐにローマ市に移送させることをせず、数日パウロをカイザリヤの牢に留め置いたと言うわけです。
ちょうどそこに、新しいユダヤ州のローマ総督に敬意を表する為に、ユダヤのアグリッパ王とベルニケがやって来たのです。
アグリッパ王とは、アグリッパ二世のことです。ローマ名は、マルクス・ユリウス・アグリッパとなります。
ヘロデ・アグリッパ一世の息子として、紀元27年に生れました。ベツレヘムの二歳以下の男子を殺害したヘロデ大王の曾孫にあたります。ベルニケとドルシラの兄になります。ローマの宮廷で育ち、生涯親ローマの立場を取りました。
紀元44年に父ヘロデ・アグリッパ一世が死んだ時、彼がまだ若すぎるという理由で、皇帝クラウディウスはユダヤを総督の支配下におきました。
しかし紀元48年、アグリッパはおじのカルキス王ヘロデの死に伴い、その領地を継承し、王となったのです。
紀元52年にはパレスチナ北部のかなり広い領地が与えられ、さらに紀元56年には、皇帝ネロからガリラヤとペレヤの一部も与えられました。それに感謝して、首都ピリポ・カイザリヤをネロニアスと改名したのです。
紀元48年から66年にかけて、大祭司を指名する権限を行使し、ローマとユダヤ人の間に立って、反乱が起ることを防ごうと努力しました。
ペリクス(一番下の妹ドルシラの夫)に代って、フェストがユダヤ総督になった時、妹のベルニケと共にカイザリヤに表敬訪問をしにやって来たと言うわけです。
そこでパウロに出会うことになります。明日も同じ箇所からです。》