• 2020年4月26日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年4月26日 第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章1節~14節】
    21:1 この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。
    21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子が一緒にいた。
    21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちも一緒に行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
    21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。
    21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」
    21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
    21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
    21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。
    21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
    21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
    21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。
    21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。
    21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
    21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。

    ◎メッセージの概要【ガリラヤにおいて】
    《主イエス様は、よみがえられたその日、弟子たちが集まっていた所に現われて下さいました。そして、そこでご自身が生きておられることをお示しになられたのです。しかしなぜかその時、十二使徒の一人トマスはいませんでした。それから八日目の事です。弟子たちの所に、再びイエス様は現われて下さったのです。その時トマスもおりました。
     彼らは、主の最初の命令に従って、ガリラヤに向かいます。かつてガリラヤ伝道の拠点となったカペナウムの、ペテロと弟アンデレの家を目指したのです。
     エルサレムから、丸三日間かけて辿り着き、しばらく主の訪れを待っていたのですが、ついには、彼らの食べる物がなくなってしまいました。
     そこで、ガリラヤ湖の漁師であり、舟を持っているペテロが、「私は漁に行く」と言い、数名の弟子がお伴をしました。残った弟子たちはペテロの家に留まって、イエス様の現われを待ち望んでたのです。
     しかしその夜は、何も捕れませんでした。そこへイエス様が通りかかられます。
    「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」
    「はい。ありません。」
    「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、捕れます。」
     何と大きな魚が153匹もかかったと言うのです。かつてこれと同じ事を、ペテロと弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネは体験していたのです。イエス様の公生涯の初期の頃です。その時もペテロたちは夜通し働きましたが、何一つ捕れなかったのです。
    「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を捕りなさい。」
    「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。」すると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになったのです。
     この出来事から、イエス様は彼らに何を教えようとされたのでしょうか。それは、主の働きをする者は、決して飢えることがないと言うことです。
     ペテロが浜辺に泳ぎ着き、弟子たちが舟を岸に着けると、何とそこには「朝の食事」が、用意されていました。
     これこそが、主を信じる者、主の為に働く者には、主ご自身が食事を整えて下さると言う約束なのです。
     かつて山上の垂訓において、主は弟子たちにこのように教えられました。
    『「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
     こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
     だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
     だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:31~6:34)』と。
     主イエス様を信じ、そして主のご用の為に働く者には、すべてが与えられると言う真の約束なのです。「主の働き」とは、「出て行って良き知らせを伝えること」です。その為に私たちは選ばれ、その為に先に救われたのです。》

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