◇◆◇日々のみ言葉
2020年5月4日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き26章4節~5節】
26:4「では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。
26:5 彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、パウロによるアグリッパ王とその妹ベルニケ、そしてローマ総督フェストへの弁明とあかしから学びます。
「では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶり」について考えて見ましょう。
ローマ帝国の中には、三大学術都市が有りました。すなわちアテネとアレクサンドリアとタルソです。
パウロの両親は、最初はローマに住んでいましたが、ローマ市民となる栄誉を皇帝から授与され、タルソに移り住んで天幕作りを営んでいたようです。紀元5年にパウロは生まれたと伝えられています。
そして、紀元10年、両親と幼い妹と共にエルサレムに移住して来たようです。その時サウロは、6歳です。おそらく主イエス様とは、10数歳年下になるわけです。それからサウロは、ずーっとエルサレムで過ごします。
主イエス様が、ラビとして教えることが許可される30歳となり、公生涯を始められた時には、サウロは、18・19歳の若者であったこととなります。
エルサレム在住の若者が、どうして「時の人」となった「ナザレ人イエス」を知らないことがあるのでしょうか。
聖書学者の中には、当時のサウロは、「ナザレ人イエス」には、まったく関心がなかったと唱える学者もいるようですが、主イエス様の十字架刑の時には、20万人から30万人以上の人々が集まったと伝えられています。
たとえそれが誇張であったとしても、それほどの大事件がエルサレムに起こったとしたら、果たして無関心、無関係でいられるでしょうか。到底、考えられないことです。
パウロのあかしによりますと、若い時から、すでにエルサレムにおいては、多くのユダヤ人から認められていた青年であったことがうかがい知れます。とするならば、間違いなく、ユダヤ最高議会の議員であった可能性は非常に高いのです。
そして、それだけではありません。
「彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」
サウロは、当時のエルサレムにおいて、ユダヤ最高のラビであったガマリエルの一番弟子でした。そのことをユダヤ人たちは知っていると言っているのです。しかも今、健在である者たちも、そのことを知っている、とパウロは断言しているのです。
パウロがなぜこれほどに、同胞のユダヤ人から忌み嫌われるのでしょうか。それは、「裏切りの念」もしくは、ねたみとやっかみから、来ているものではないでしょうか。》