◇◆◇日々のみ言葉
2020年5月6日(水)
◎聖書箇所【使徒の働き26章6節~7節】
26:6「そして今、神が私たちの先祖に約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。
26:7 私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
当時のユダヤ人は、熱心に、自分たちの先祖に約束されたもの、すなわち「あの預言者」あるいは「キリスト(メシヤ)」を待ち望んでいたのです。
ヨハネがバプテスマを授けている所へ、エルサレムから使いがやって来ました。彼らは、パリサイ人の中から遣わされたのです。
『「あなたはどなたですか。」
「私はキリストではありません。」
「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」
「そうではありません。」
「あなたはあの預言者ですか。」
「違います。」
「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ。』と荒野で叫んでいる者の声です。」
「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」(ヨハネの福音書1:19~1:25)抜粋』
この聖書箇所からも分かりますように、モーゼ五書の申命記に書かれた「あの預言者」、あるいは「キリスト(油注がれた者)」を、あるいは「メシヤ」が来る前に、道を整える為に遣わされる大預言者エリヤを、ユダヤ人は待ち望んでいたのです。
そして、パウロが、
「私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。」と言っているとおりです。
このあかしは伏線です。
この後、パウロは、先祖に約束された「預言者」が、「キリスト」が、「メシヤ」が、「ナザレ人イエス」であることを証明して行くことになるのです。
この辺りの話の展開は、異邦人の地において、哲学者でもある多くのローマ人やギリシャ人と論駁を繰り返して来た経験が活かされているのです。そして、聖霊様によって与えられた知恵であるとも言えるでしょう。
ここで、パウロが言う「この希望のために」とは、主イエス様のことです。このお方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。
唯一の「希望」は、主イエス様なのです。》