• 2020年5月10日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年5月10日 第二主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き1章9節~11節】
    1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
    1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
    1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

    ◎メッセージの概要【主イエス・キリストの昇天】
    《今年のペンテコステ礼拝は、5月31日の第5主日礼拝になります。よって「主イエス・キリストの昇天」は、その10日前の21日になります。
     さて、主は、少なくとも弟子たちに二回に渡ってご自身の「昇天」の預言をされました。もちろんその時には、彼らには全く理解出来ず、また想像出来るものではありませんでした。 最初の預言は、エルサレム神学校長ニコデモが、夜中に尋ねて来た時です。公生涯最初の過越の祭のエルサレム巡礼の時であると考えられます。もちろん十二使徒も聞いています。
    「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つ為です。」と。
     次に、パリサイ人や律法学者に、カペナウムのユダヤ人の会堂で教えられた時でした。その時、ご自身が「命のパン」であり、「私の血は真の飲み物であり、私の肉は真の食べ物」と言う霊的比喩を話されましたが、弟子たちの多くの者が、それにつまずいてしまいました。
    「これはひどい言葉だ。そんなことをだれが聞いておられようか。」
    「このことであなたがたはつまずくのか。それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。」
     十二使徒たちは、これ以後も主イエス様と行動を伴にしますが、イスカリオテのユダは、この時から主に対して大きな疑問を抱いていたとも考えられます。
     さて、オリーブ山において主イエスは、十一弟子たちを祝福しながら天に登って行かれます。雲の上に隠れて見えなくなっても、弟子たちは天を見上げ続けました。
     そこに二人の御使いが現われます。
    「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
     これこそ、主イエス様の再臨のまことの預言でもあります。ゼカリヤ書には、メシヤの再臨の預言がこのように書き記されています。
    『その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、私の山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主と共に来る。』と。
     ここでは、「すべての聖徒たちも主と共に来る」と明確に書かれています。文字通り「すべての聖徒」が主イエス様と共に来る為には、その前に聖徒全員が召される必要があるはずです。そうであるならば今現在この地上に残されているクリスチャンは、全員が殉教する事になるのではないでしょうか。パウロの第Ⅰテサロニケの手紙によりますと、
    『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主と共にいることになります。』と。この次に成就する聖書の預言は、主イエス様の「空中再臨」であり、栄光の「携挙」なのです。》

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