◇◆◇日々のみ言葉
2020年6月18日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き28章16節】
28:16 私たちがローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。
◎ショートメッセージ
《パウロと、護衛していた百人隊長ユリアスを乗せた船は、下船する目的地である「ポテオリ」の港に到着しました。
そこからは、陸路を行くことになり、アッピア街道を上って行くことになります。まず「アピオ・ポロ」で宿泊します。何とローマから、ローマ在住のクリスチャンの兄弟たちが出迎えてくれたのです。
さらに次の宿泊地、「トレス・タベルネ」にも、主にある兄弟たちが出迎えに来てくれました。パウロは彼らと会って、神様に感謝し、勇気づけられたとあります。
まさしく詩篇に書かれてある通りです。
『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんという幸せ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上に注がれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(詩篇133:1~133:3)』と。
聖書には、「トレス・タベルネ」が最後の宿泊地として登場しますが、さらに30キロほど進んだ「アリキヤ」にも、パウロたちは宿泊したという言い伝えがあります。おそらく、そこでも多くの兄弟たちがローマから駆けつけたに違いありません。
なぜならば、この時すでに「ローマ人への手紙」は執筆され、ローマのクリスチャンたちに、広く読まれていたからです。
さて、「私たち」とは、パウロとルカとアリスタルコです。ここでもローマ市民としての特権にあやかれたのです。番兵付きですが、パウロは自費で家を借り、そこに住むことが許されました。
その場所こそ、ルカが「福音書」と「使徒の働き」を執筆し、またパウロが「獄中書簡」と言われています、「エペソ人への手紙」、「ピリピ人への手紙」、「コロサイ人への手紙」と「ピレモンへの手紙」を執筆した家なのです。
しかし執筆したと言いましても、ほとんどの部分を、ルカもしくは他の弟子が、パウロが話すことを代筆したと考えられています。
最後の部分はパウロ自身が書いたようです。
『パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢につながれていることを覚えていて下さい。どうか、恵みがあなたがたと共にありますように。(コロサイ人への手紙4:18)』と言うように。》