• 日々のみ言葉 2020年6月26日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年6月26日(金)

    ◎聖書箇所【使徒の働き28章30節~31節】
    28:30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
    28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

    ◎ショートメッセージ
    《今日は、「使徒の働き」の学びの最後となります。
     使徒の働きは、28章で終わっていますが、本当はこの続きがあってもおかしくはないのです。この後、パウロの裁判が行なわれました。パウロは、カイザルであったネロの法廷に立ったのです。なぜなら、船が難破する前に、御使いが預言したからです。

    『「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」(使徒の働き27:24より)』

     もしパウロがネロの前に立たなければ、御使いは「偽預言」をしたことになってしまいます。
     ネロの裁判において、結局有罪とされるような罪は見い出されず、またユダヤ人もそれ以上訴えることをしなかったので、無罪となり釈放されたのです。

     さて、その後のパウロの足取りですが、パウロは愛弟子テトスと共にクレテ島に渡って巡回伝道し、そこに教会を生み出しました。ユダヤ歴史家ヨセフォスによりますと、当時のクレテ島には、大きなユダヤ人共同体が存在していたと言われています。
     パウロは、ここにテトスを残していきます。クレテ島の伝道と教会を育む役割をテトスに託して、小アジアに向かったと言われています。そこにはエペソ教会とコロサイ教会がありました。コロサイにはピレモンの家族がいました。また愛弟子オネシモの家族もいたのです。
     その後、パウロはエペソ教会を拠点として、小アジアを巡回したようです。そしてテモテにエペソ教会を任せて、マケドニアに向かいます。マケドニアからさらにギリシャ西部沿岸の町ニコポリに行き、伝道しています。
     その後のパウロの足取りは分かってはいませんが、いくつかの伝承が残されています。紀元97年に記された「クレメンスの第Ⅰの手紙」によりますと、西の果て、すなわちスペインまで行ったことが書き記されています。そしてそこから戻って来て、ミレトスやトロアスなど、小アジア州からマケドニア州を巡回していたことが書かれています。

     そして伝承によりますと、紀元64年の夏、ローマで大火事が起こり、多くの死者が出ました。その大火事は、皇帝ネロが仕組んだと言う噂がローマ中に広まったのです。 ネロは、その噂をもみ消す為に、火事はローマ在住のクリスチャンの仕業であるとして、クリスチャンの迫害を開始します。その迫害の中でパウロは捕らえられます。そして再び投獄されます。
     正確な年数は特定は出来ませんが、紀元66年から68年の間に、斬首によって殉教するのです。これはローマ市民であるがゆえです。ローマ市民は、極刑であった十字架刑に処せられることはないと定められていたからです。

     その最後の瞬間、パウロの瞳は何を見たのでしょうか。私は、主イエスが満願の笑顔で迎えに来ている姿を見たと信じています。もしかしたらステパノも側にいたかも知れません。
    「使徒の働き」の学びはこれで終わります。明日からは「マタイの福音書」です。》

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