• 2020年6月28日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き2章34節~41節】
    2:34「ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、私の右の座に着いていなさい。
    2:35 私があなたの敵をあなたの足台とするまで。』
    2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
    2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
    2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
    2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
    2:40 ペテロは、ほかにも多くの言葉をもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
    2:41 彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

    ◎メッセージ【ペテロの説教から(その三)】
    《引き続き、ペンテコステ直後に、集まって来た「敬虔なユダヤ人たち」に語ったシモン・ペテロのメッセージからとなります。
     さて、「ダビデが天に上ったのではありません。」とペテロは言っていますが、彼はオリーブ山で、主イエスの昇天を最初から最後まで目撃しています。この言葉はその事実と真実の元に裏打ちされているのです。そしてダビデの言葉を再度引用します。この言葉は、詩篇110篇で、「ダビデによる賛歌」とタイトルがつけられています。その原文を見ますと、『【主】は私の主に言われた。「あなたは私の右の座に着いていなさい。私があなたの敵をあなたの足台とするまで。」』となっています。
     最初の主は【主】となっています。ここが新改訳旧版と2017年版との大きな違いであって、【主】とは、「YHWH」のことです。つまりヤーヴェを指します。
     次に出て来ます「主」は、ダビデに取っては、遠い未来に生まれる子孫の主イエスに値します。この詩篇を詠んだ時のダビデは、まさしく天の幻を見たのです。すなわち父なる神様の右の座に、主イエス・キリストが着座される幻を見たのです。
     この預言は主イエスが昇天された時に成就することになります。今現在、主イエスは、父なる神の右の座に座しておられます。やがて立ち上がられ、花嫁である教会を迎えに来られます。次に成就する預言は携挙です。
    「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」この言葉には、聖霊による力の現われが満ち満ちています。「イスラエルの全家」とは、イスラエルの十二部族のことです。
     まず主イエスは、ユダヤ人の救いの為に遣わされた救い主であると言うことです。そして「十字架」の事実が、彼らの魂の奥底を貫いたのです。それゆえ、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と、集まって来たユダヤ人たちは、ペテロと他の使徒たちに尋ねました。ペテロは答えます。
    「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と。
     賜物としての聖霊を受けるには、まず「罪」を認めなければなりません。主イエスを十字架につけた罪をです。次に「悔い改め」です。悔い改めとは「生き方」を変えることです。人生の方向を180度方向転換することなのです。そして彼らが今まで否定して来た名で、しかも「ナザレのイエス」ではなく「イエス・キリスト」の名によって「バプテスマ」を受けることなのです。そうすると、その人は救われて、その人の霊の中に聖霊が降らって来られます。
    「この約束は、あなたがたに、子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」 この言葉の中に、非常に重要な真実が隠されています。それは、「私たちの神である主が召される人」と言うことです。
     何度も言いますが、神様の計画の中に、その摂理の中に偶然は何一つありません。すべてが必然であって、すべてが通らなければならない課程であり段階なのです。
     この後もペテロは、他にも多くの言葉をもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めたのです。
     その日、男性の数だけで三千人ほどが、信仰告白をしバプテスマを受け、教会に加えられたのです。彼らは、この日に救われるよう、用意された人々なのです。
     主イエスは、弟子たちに教えられました。
    『「あなたがたが私を選んだのではなく、私があなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになる為、また、あなたがたが私の名によって父に求めるものをすべて、父が与えて下さるようになる為です。あなたがたが互いに愛し合うこと、私はこれを、あなたがたに命じます。
     世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先に私を憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。私が世からあなたがたを選び出したのです。」』と。
     神様にはご計画があられます。今日、私たちがこの場所にて礼拝を捧げる為に集められたことも、そのご計画の中の一部なのです。加えられた三千人の兄弟たちは、すでに選ばれていました。そして私たちも、選ばれた一人であるのです。アーメン。》

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